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第十六章 悪魔ここに誕生す(3)
日期:2023-12-07 15:32  点击:294

「椿子し爵しやくが……? それ、いつのこと? 十五日のこと、十六日のこと?」

「さあ、そこまではよう憶おぼえとりませんけれど、十五日のことやったんやおまへんや

ろか。だって、十六日の日はさっきもゆうたとおり、お弁当持って出やはったんやさか

い、このへんにうろうろしてはるはずおませんもの」

「なるほど、それで子爵はそこで何をしていたんだね」

「さあ、それはわたしにもわかりまへんわ。その葛城さんの別荘のちょっと向こうに、わ

たしの姉が住んでますの。幸い戦災からまぬがれたんだすわ。その日わたし、おかみさん

にひまもろて、姉のところへ遊びにいったんだす。あ、そうそ、そういえばあれ十五日や

わ。お正月の十五日に、わたし姉さんとこへ行ったんやさかいに。そのかえりのことだし

たの。葛城さんのわきを通ると、男のひとが立ってまっしゃろ。わたしなんや気味が悪う

て。……だって、もうそろそろ日が暮れかけて、あたりが薄暗うなってた時分のことだす

もん。それでわたし、大急ぎでそばを通り過ぎようとすると、そのひとがひょいとこちら

を振りかえったんだす。それが、あんた、椿さんやおませんの。わたしもびっくりしてし

もて。……それでも頭さげないかんかしらと思てるうちに、そのひとはふいと顔をそむけ

ると、焼け跡の向こうのほうから道へ出て、そのまますたすた行ってしまはりましたの」

「おすみちゃんはあとで椿さんに、そのことをいわなかったの?」

「いいえ。向こうさんのほうではあそこで逢おうたん、わたしやとは御存じなかったらし

いんですわ。何もおっしゃりませんでしたので、わたしもなんや、ゆうたら悪い思て。

……それに、夕暮れの薄暗がりのことだしたさかいに、はっきり椿さんやったとは云いき

れませんの。ひょっとしたら、ひとちがいやったかも知れんちゅう気もおましたさかい

に。……」

 金田一耕助は無言のまま足をはこびながら考える。

 おすみの見たのはやはり椿子爵だったにちがいない。その昔、玉虫伯爵の別荘で起こっ

た何事かを調べるために、わざわざ西下した椿子爵が、いまはもう跡かたもなく焼けくず

れているとはいえ、そこを訪れてみようという気になるのは、ごく自然ななりゆきだっ

た。

 椿子爵はそこで何事が起こったか、行なわれたか知っていたのだ。それだけに、その焼

け跡へ立った子爵の感懐もまたひとしおだったことだろう。それは怨うらみか、悲しみ

か、憤りか。……もし、それが子爵をかって自殺を決行せしめたならば、そのときの子爵

の感情の激動も、さぞ深刻だったことだろう。……

「それからなあ、お客さん」

 黙々として歩いていた金田一耕助は、おすみの言葉にふと幻想をやぶられて、

「え? なに? おすみちゃん」

「十六日の日に、椿さんが行かはったとこなあ、わたしなんだかわかるような気がするん

だっせ。もちろん、当て推量だすさかいに、間違うているかも知れまへんけれど」

 金田一耕助は無言のまま、おすみの顔をふりかえる。おすみは鼻のひくい、平べったい

顔をした、色の白いところをのぞいては、お世辞にもよい器量とはいいかねる娘だった

が、小さい、細い眼のうごきにどことなく、怜れい悧りそうなところのうかがわれる娘

だった。それにああいう客商売をしていれば、余人には見られぬ観察眼を持っているはず

である。

「おすみちゃん」

 金田一耕助はちょっと言葉に力をこめて、

「当て推量でもなんでもいいんだよ。おすみちゃんは溺おぼれる者は藁わらをもつかむ、

という言葉を知ってるだろう。われわれは溺れる者なんだよ。かいもく見当がついてない

んだ。それにおすみちゃんは当て推量だというけれど、君みたいな悧り巧こうな娘さんの

観察というものは、なかなか馬鹿に出来ないもんだよ」

「あら、わたし悧巧でもなんでもおませんわ」

 おすみは言下に否定したが、それでもさすがに嬉うれしそうだった。

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