耕助にうながされて、
「ああ、ふむ。……」
と、警部は砂鉢のうえに仰向けに、おさえつけられたまま、
「おまえは誰だ。いったい何をするのだ」
「それに対して犯人は、ある言葉を御前の耳にささやいたんです」
そういいながら、耕助は警部の耳に口をあてると、
「わ、わたしは──」
と、何やらひとことささやいたが、そのときの警部の顔色こそみものであった。警部
は、やにわに耕助の体をつきとばすと、はじかれたように立ちあがり、
「な、な、なんだって。き、き、金田一さん、そ、そ、そりゃほんとうか」
警部のそれはもうお芝居ではなかったのだ。まるで地獄の口でものぞいたように、ドス
ぐろい恐怖と驚きに顔を歪ゆがめ、目玉がいまにも飛び出しそうであった。
それに対して耕助は、落ち着きはらって、袂たもとの砂を払いながら、
「ほんとう──だろうと思います。そして、警部さん、あの晩の玉虫の御前も、いまの警部
さんと同じような驚きと恐れをもって、同じような言葉を、犯人にむかってあびせたにち
がいないのです」
一同はしばらくしいんと黙りこんでいた。
耕助は何を警部にささやいたのか。そしてまた、警部は何をあのように驚いたのか。
妙に不安でぎこちない空気が、一同の顔を強こわ張ばらせる。それは、耕助のささやい
た言葉が、想像もつかなかったせいもあろうが、なかにはまた、それがわかった人物も、
あったからかも知れないのである。
やっと菊江が口をひらいた。あいかわらず、からかうような調子だが、妙に声がしゃが
れている。
「金田一先生、いったい、どんなおまじないを、警部さんにおっしゃいましたの」
「やあ」
耕助は警部に眼くばせをしながら、
「それはもう少し伏せておくことにしましょう。それよりも、いまの警部さんの顔色か
ら、どんな恐ろしい言葉だったかおわかりになるでしょう。ことに玉虫の御前は当事者だ
けにね」
「金田一先生」
と、怯おびえたような声をかけたのは美禰子である。美禰子の眼はいよいよ大きく見開
かれて、蒼あお白じろんだ頰ほおがさむざむとそそけ立っている。
「それが、あれですの? 椿家の名誉を泥沼に落とすという──」
「ええ、そ、そ、そうかも知れません」
食い入るような美禰子の視線から顔をそむけて、耕助はぎこちなく咽の喉どの痰たんを
切りながら、
「これで、あの晩起こった惨劇の、第一幕は終わったわけです。玉虫の御前はかなりの手
傷を負うておられた。ことに鼻血が飛んだので、部屋中惨さん憺たんたる光景を呈しまし
た。しかし、それかといって御前はそのとき死んでいられたわけではなく、まだまだ元気
でいられたんです」
「しかし、それじゃなぜひとを呼ばなかったんだね」
蟇がま仙人の蟇のような声である。
「それがつまり、おまじないのせいなのね」
菊江がかしこくも指摘する。