「ええ、そう、ひとを呼んで、そいつにべらべらしゃべられると、困る理由があったんで
すね。そこで御前は一時そっと妥協された。いや、そいつのほうが一時、御前と妥協した
といったほうが当たっているかもしれません。そこでそいつは、御前をここに残して部屋
から出ていった。むろんそのとき、そいつは、風神と雷神を取りかえていったわけです。
さて、あとに残った御前は、扉をしめ、掛け金をかけ、閂かんぬきをはめ、それからカー
テンをしめられた。いや、おそらく扉もカーテンも格闘の間じゅう閉まっていたにちがい
ない。それでないと物音が外へ洩もれたはずだし、それにカーテンには血けつ痕こんが
散っていましたからね。さて、それをもう一度念入りにしめて、御前がひとりここに残っ
たというのは、おそらく、ショックがあまり大きかったからでしょう。御前は気持ちを整
理する時間がほしかった。それと、そんな血だらけの姿でこちら──」
と、耕助は菊江のほうを顎あごで示して、
「のそばへかえっていくことを、憚はばかる気持ちもあったのでしょう。こうして犯人は
外に、御前は密閉された部屋のなかに残ることになったんですが、そのとき、犯人がふと
一計を案じたんですね」
そこで金田一耕助は、もう一度つかつかと部屋から出ると、あの花瓶のおいてあった台
を、扉の正面まで持って来た。
「いいですか。そのとき、この扉はぴったりしまっていたんですよ。しかも閂と掛け金
で、二重にしまりがしてあったんです。むろん、カーテンもしまっていました。そこで犯
人はこの台のうえにあがって、欄らん間まの窓からなかをのぞきこんだんです」
と、金田一耕助は台のうえにあがると、欄間からなかをのぞきながら、
「そして、おそらくこんなことをいったんでしょう。御前、御前、もうひとこと申し上げ
たいことがあります。ちょっと、お耳をかしてください。──さあ、警部、あなたが玉虫の
御前ですよ」
「ああ、ふむ、そうか」
警部はちょっとあたりを見まわしたのち、手近の椅い子すを持ってきて、それを扉の内
側におくと、そのうえへあがった。
「金田一さん、これでいいのかな」
「そうです、そうです。ついでにこのガラス戸を開いてください」
警部は欄間にはまっているガラス戸を、二枚左右に開いた。金田一耕助は台のうえから
一同の顔を見まわしながら、
「こうして犯人と玉虫の御前は、欄間ごしに顔をつきあわせた。ごらんのとおりこの欄間
は、上下のはばがせまいから頭は入らない。しかし、腕なら十分に入ります。しかも、皆
さんもおぼえていられるでしょうが、あの晩、御前は、お誂あつらえむきに、首に襟巻き
をまいていられた。犯人は御前の耳に口をよせ、何かささやくふりをしながら、いきなり
襟巻きのはしを両手でつかんで──」
金田一耕助もさすがに唾つばをのみ、
「勝負はおそらく簡単についたでしょう。玉虫の御前は、剛ごう毅きなかただが、なんと
いってもお年と齢しだし、それにショックで参っていられた。大きな声も立てずに絶息さ
れたことでしょう。犯人はそれを力まかせに、むこうへ突きとばしたが、そのとき御前は
椅子か何かの角でうたれて、また後頭部に大きな傷を負われたのでしょう。そして、ここ
に血みどろな、密室の犯罪が出来あがったというわけですね」
金田一耕助は台からおりたが、誰も口を利きくものはなかった。ふたたび無気味な沈黙
が、一同のうえに落ちてくる。
その沈黙を破ったのは、またしても菊江だった。