しばらくして東太郎はふりかえった。さすがに顔は蒼あおざめて強こわ張ばっている。
その強張った顔に強しいて微笑をつくろいながら、
「みなさん、おわかりですか。椿子し爵しやくが手帳のなかに、悪魔の紋章と書きしるし
ておいたのは、ぼくのこの痣のことだったんです。ぼくはこの痣を証拠に、椿子爵に名の
り出たんですから」
「それじゃ、あなたは──」
華子が何かいいかけたが、その言葉は終わりまで発音されずに、口のなかでふるえて消
えた。
東太郎はあいかわらず強張った微笑をうかべたまま、
「ええ、そうですよ、奥さん、ぼくはあなたの旦だん那なさんのおとし子なんです。一彦
君、ぼくは君の異母兄なんだぜ」
一彦は屈辱のために赧あかくなり、きゅっと体をかたくした。
「そして、君はじぶんの父を殺したんだね」
警部の口調はきびしかったが、東太郎はこともなげに、
「そうですよ、警部さん、あっ、ちょっと待ってください。ひとを呼ぶのは待ってくださ
い。それじゃ、金田一先生の志が無になる。ぼくはもう覚悟をきめているんだ。悪あがき
はしやあしないから安心してください」
金田一耕助も警部がひとを呼ぶのをとめた。そして、みずからドアのそばへいくと、そ
こに立ちはだかった。それは東太郎の逃亡をさまたげるよりも、外からひとが入ってくる
のを警戒するためであった。
「そんなことなら、そんなことなら、もっとはやくいってくださればよかったのに──あた
しだって、出来るだけのことはしてあげたのに──」
華子がうめいてすすり泣いた。このとき、はじめて東太郎はふてぶてしい微笑をうかべ
て、
「有難う、奥さん。しかし、あんたは何も御存じないのです。あいつは……あなたの旦那
さんだった男は、人間じゃなかったんです。あいつは畜生だった。けだものだった。あい
つはもう、このうえもない恥知らずの動物だったんだ。人面獣心とはあいつのことだ」
東太郎のおもてには、そのとき、たとえようもないほどのはげしい憎悪がもえあがっ
た。しかし、すぐがっくりと肩を落とすと、
「あっはっは」
と、咽の喉どのおくでかすかに笑って、
「金田一先生、ウィスキー、飲んでもいいでしょう」
といいながら、じぶんで勝手についで飲んだ。
美禰子はいったんの驚きからさめると、さっきから、冷めたい眼をして東太郎の挙動を
視つめていたが、そのとき急に、きびしい声で詰なじるようにいった。
「三島さん、あなたが伯お父じさまのことを、なんとおっしゃろうとも構いません。あた
しもあなたの意見に賛成です。しかし、それだからって、あなたはなぜ、あたしのお母さ
まを殺したんです。あの罪もない、可哀そうなお母さまを……」
そのとき急に金田一耕助が走ってきて、うしろから美禰子の肩に手をおいて
「三島君!」
と、何か注意をするように鋭い声をかけた。
東太郎と耕助はきびしい眼をして、しばらく睨にらみあっていた。等々力警部は顔をそ
むける。
「先生、許してください」
しばらくして、東太郎が弱々しい声でつぶやいた。
「しかしこの娘こは、なにもかも知りたがっている。それに……それに、ぼくもいっぺん
この娘を妹と呼びたいんだ」
「妹……?」
美禰子はつぶらの眼を見張る。
「そうだよ、美禰子、おれはな、新宮利彦がじぶんの妹、即ちおまえのお母さんを犯して
産ませた子供なんだ」