利彦と 子は夏の終わるのを待たずに東京へ去ったが、それから間もなくおこまは自分が
妊娠していることに気がついた。父に責め問われるままに、おこまははじめて相手が新宮
利彦であることを打ち明けた。
むろん、それを聞いて黙っているような辰五郎ではない。辰五郎はすぐに東京へ出向い
ていって、玉虫伯爵に談じこみ、多額の金をまきあげてきた。そしてそれから間もなく、
おこまは子供を身ごもったまま、父の弟子の源助のもとへ嫁にやられたのである。
したがって、おこまは私が辰五郎のもとへ引きとられた前後の事情はよく知らなかった
という。ましてや、私が誰の子であるかなどとは考えてもみなかったそうだ。
それに気がついたのは、まえにもいったあの行水の一件のときだった。おこまはその
昔、月見山の別荘で二、三度利彦の背中を流したことがあるので、そこに奇妙な痣あざの
あることを知っていた。それと同じ形の痣を私の背中に発見したときのおこまの驚き──
おこまはつぎの日、辰五郎を訪れ、詰問したあげく、はじめて私の出生の秘密を知った
のだ。
大正十三年六月、新宮 子は月見山の別荘で、ひそかに男子を分ぶん娩べんした。その子
は玉虫伯爵の計らいで、うまれ落ちるとすぐ辰五郎の手にわたされた。その子の父につい
ては、伯爵も付き添いの信し乃のも、一言も語らなかったけれど、娘の口から利彦と 子の
あるまじき行為を聞いていた辰五郎には、それが誰の子であるか察することが出来たので
ある。
しかし、かれはそのことを誰にも──、妻のはるにすら語らなかった。何な故ぜならばそ
のときすでに、この秘密をもって生涯の金かね蔓づるにしようと決心していたかれは、秘
密の露見することは、取りも直さず、金蔓を失うことであることを知っていたのだ。かれ
があのようにかたく秘密を守りとおしたのは、利彦や 子の名誉のためばかりではなく、自
分の貪どん欲よくのためだった。
しかし、この事実を知ったおこまの驚きはどんなだったろう。兄と妹のあいだにうまれ
た男子が、いままた腹こそちがえ、同じ父を父としてうまれた妹と通じようとしている。
いや、おこまのさまざまな苦心のかいもなく、事実、二代にわたって、世にも浅ましい
あやまちが繰りかえされたのだ。そして、その結果をやどした小夜子は、母からその浅ま
しい事実を聞かされると、もはや生きていることは出来なかったのだ。おお、可哀そうな
小夜子!
あのほの暗い淡路の庵室で、おこまの口から以上のような事実を聞かされたせつな、私
は気が狂った。まえにも述べたように悪魔になったのだ。悪魔に魂を売りわたしたのだ。
そして、小夜子のためにも自分のためにも、かたく復ふく讐しゆうを誓ったのだ。私は思
う。よくあのとき、怒りのあまりおこまをひねり殺さなかったものだと。あのときにおこ
まを殺していたら、のちになって、あのような手数をかけずにすんだのに。
それはさておき、ひと晩おこまの庵いおりに泊まった私は、翌朝淡路を立ってまっすぐ
に東京へやってきた。そして、ヤミ屋の手先のようなことをやりながら、新宮利彦や玉虫
伯爵の動静をうかがっているうちに、識り合ったのが飯尾豊三郎という男であった。
ここに飯尾豊三郎という男について簡単にのべておこう。こいつは、まるで道徳的に不
感症のような男であった。この男にははじめから善と悪との区別がないのだ。それでは、
特別に強烈な悪の意志でも持っているかというと、そうでもなかった。風ふう貌ぼうは穏
和で、性格にもどこか眠り男のような頼りないところがあった。天銀堂事件のような大そ
れた犯罪をやらかしながら、その反響が大き過ぎると自分で呆あきれているような男であ
る。
それはさておき、こうしてヤミ屋の手先をやりながら、調べあげた新宮利彦と妹の 子、
さては玉虫伯爵の動静というのが、なんと、私の目的にとってはお誂あつらえ向きに出来
ていたではないか。かれらはいま全部、同じ邸内に住んでいるのである。