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湖泥 二 (4)
日期:2023-12-14 14:08  点击:253

「と、いうのは四日の晩、勘十が米こめ搗つきに行って、すこし疲れたから横になろうと

すると、枕にひと筋、女の髪の毛がついていたというんですな。勘十も三日の晩、由紀子

の隣村の祭りへ行ったきり、行方不明になっていることを知っている。しかも、三日の

晩、水車小屋にいたのは浩一郎だから、さては由紀子と浩一郎、ここでうまくやりおった

なと思ったというんです」

 金田一耕助はまた気になるような視線を、湖畔のほうに投げながら、

「それじゃいったいどっちなんです。由紀子は水車小屋へやってきたのかこなかったの

か。……」

「それがどうもわからん。浩一郎はぜったいに、そんなことはないと否定しつづけている

んだが……」

「しかし、どちらにしても、由紀子は死体となって、この湖水のどこかにしずんでいると

いう疑いがあるんですね」

「そうです、そうです。五日の夕刻由紀子の下げ駄たが、六日にはおなじく帯が、湖水か

ら発見されているんです。それできのうからわたしもこっちへ出張してきて、こうして捜

策してるちゅうわけです」

「しかし、死体はもうどこかへ流れ去っているという心配はありませんか」

「いや、その心配はないんです。三日の夕方からして、ああしてあの水門は閉ざしたまん

まなんだそうで。四日の夕方に大夕立があったことはあったが、なにしろ三週間もの日ひ

和よりつづきで、相当減水していたから、水門からあふれるちゅうほどではなかったんで

すな。だから、死体がこの湖水へ投げこまれたとしたら、いままだあるはずなんだが。

……」

 警部はいくらかいらいらした眼つきになって、湖上にちらばっている舟を見まわしてい

る。どこからもまだなんの反響もおこらず、山の影はいよいよながくなって、いまはもう

すっかり湖水のおもてをおおうている。これではきょうの捜索もむだにおわるのではない

か。……

 金田一耕助はあいかわらず、妙に気になる視線を湖畔のほうにむけながら、

「ところで、警部さん、三日の晩にはもうひとり、この村から姿を消したものがいるとい

うじゃありませんか」

「ああ、そうそう、村長の細君ちゅうのがいなくなってるんですがね。ただし、村長自身

は大阪のほうへ行ってるんだといってるそうで。……これはしかし、こっちの事件と関係

があるとは思えませんがね。……おい、どうした、まだなんの手がかりもないか」

 と、警部は隣の舟に声をかける。

「へえ、どうもいっこう。……警部さん、こら浚しゆん渫せつ船でもやとうてこんことに

は、らちがあかんかもしれませんぜ」

「そうなるとやっかいだなあ」

 磯川警部はいまいましそうに眉まゆをひそめる。さっきからしきりに湖畔のほうを気に

していた金田一耕助は、そのとき、ふと警部のほうへむきなおると、

「ねえ、警部さん、むこうに見えるあの小屋ですがねえ。ほら、部落からはなれて一軒ポ

ツンと、湖水のすぐそばに建っている小屋があるでしょう。あれはいったいどういう小屋

なんでしょうね。妙に烏からすがさわいでいるようだが……」

 磯川警部は不思議そうに、金田一耕助の指さすほうへ眼をやったが、急にぎょっとした

ように眼を見張った。

 部落と水車小屋とのちょうど中間ぐらいの、湖水の水際から二間けんほどあがった崖が

けの上に、両方からせまる急坂におしつぶされそうなかっこうで、木小屋か牛小屋か、小

さな小屋が一軒ポツンと建っている。

 そのへんはもうすっかり夕ゆう闇やみにつつまれて、蒼そう茫ぼうたる雀すずめ色のた

そがれの底にしずんでいるのだが、その小屋の上一面に、胡ご麻まをまいたように烏がむ

らがって、不吉な声をたてているのである。

「き、金田一さん」

 磯川警部は眼をひからせ、ちょっと呼吸をはずませた。

「あの小屋がなにか……」

 と、そういう声はおしつぶされたようにしわがれている。

「いえねえ、警部さん、ぼく、さっきから考えてるんですが、あてもなく湖水のなかを

ひっかきまわしているより、あの小屋のなかをしらべてみたほうが、手っとりばやいん

じゃないかと思うんです」

 磯川警部はまじろぎもせず、小屋の上にむらがる烏どもを見つめていたが、急にその眼

をちかくにいる田舟のほうにもどすと、

「きみ、きみ、清水君だね。きみ、むこうに見えるあの小屋な、ほら、水際からすこしあ

がったところに建っている小屋さ、烏がいっぱいむらがっている小屋があるだろう。あ

れゃいったいなにをする小屋だね」

 この村に駐在している清水巡査は、まだとても若く、団子鼻にあごのひらたい童顔に

は、にきびが一面に吹き出している。

「ええ、あの、警部さん、あれは北神九十郎のうちですが……どうしたんでしょう、烏が

あんなに鳴きたてて……」

「北神九十郎……? ああ、満州からの引揚者ですね。家族があるんですか」

 金田一耕助がたずねた。

「いえ、あの、独りもんなんで。……満州から引き揚げてきたときには、おかみさんが

おったんですが、ひどい梅毒で、一年ほどして死んでしもうて、それからずっと、ひとり

で暮らしておるんです」

「祭りの晩、山越えでかえってきたという男ですね。どういう人柄ですか」

「はあ、それが……」

 と、清水巡査はいくらかかたくなって、

「ひとくちにいいますと、敗戦ボケちゅうんでありましょうか。それというのも、無理か

らんところもありまして。……満州では相当にやっておったちゅう話でありますが、それ

が素す寒かん貧ぴんになって引き揚げてきまして。……しかも、引き揚げの途中、おかみ

さんちゅうのが、つまり、その……むこうの連中にさんざんわるさされたんですね。それ

で、ひどい病気をもろうてかえって、体じゅう吹出物だらけちゅうありさまでした。それ

でありますから、村のもんも気味わるがって、だれも相手にせなんだんであります。おか

みさんがのうなったときにも、医者もよりつかんちゅう状態で。……それで、すっかりボ

ケてしもうて、ろくすっぽ村のつきあいもせず、あれでどうして暮らしとるのかと思われ

るほどで。……まあ、牛か馬みたいな生活をしとります。しかし、警部さん、おかしいで

すなあ。あの烏のさわぎかたは……」

「き、金田一さん、行ってみましょう!」

 磯川警部が嚙かみつきそうな声でそういって、急ピッチにオールをあやつるうしろか

ら、清水巡査もあわをくったように、

「警部さん! 警部さん!」

 と、呼吸をはずませ、にきびづらの童顔にぐっしょり汗をかきながら、田舟をあやつっ

てついてくる。

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