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蜃気楼島の情熱 十一(1)
日期:2023-12-15 17:03  点击:244

十一

 正午過ぎから出た南の微風が、沖の小島をおおうていた霧をすっかり吹きはらい、海上

はまだいくらかうねりが高かったが、空は秋の夕べの色を見せて、くっきりと晴れわたっ

た。

 本土と島をつなぐ桟道から、この沖の小島をながめると、それこそまるで蜃しん気き楼

ろうのようである。なるほど建築学上からいうと、摩ま訶か不思議な構造物であるかもし

れない。しかし、おりからのあかね色の西陽をあびて、累々層々と島のうえに連らなり、

盛りあがっている複雑な夢の勾こう配ばいをみると、やはりひとつの偉観でもあり、美観

でもあった。久保銀造のいうように、たとえ、材料やなんかチャチなものであるにして

も。

「いや、耕さん、わしも見なおしたよ。なるほどここからみるといいな」

 桟道のとちゅうのとある崖がけのうえに立った久保銀造は、ステッキのかしらに両手を

おいて、ほれぼれとした眼でこのうつくしい蜃気楼をながめている。

 金田一耕助はしかし、この蜃気楼がうつくしければうつくしいほど、これをつくりあげ

た男の情熱に思いをはせて、気がめいってならないのである。

 志賀泰三は夢を見ていたのだ。子供のようにうつくしい夢の世界にあそんでいたのだ。

しかしいまその夢が蜃気楼のようにくずれさったとき、いったいあとに何が残るのだ。そ

の夢がうつくしければうつくしかっただけに、それが悪夢と化してすぎさったあとの、灰

をかむようなわびしさに思いおよんで、金田一耕助の胸はえぐられるのだ。

「静よ、静よ。なぜ死んだ。おれをのこしてなぜ死んだんだ。静……静……」

 号泣する志賀泰三の声が、いまもなお耕助の耳にかようてくる。

「金田一さん、金田一さん、見つけましたよ。ほら、このペダル……」

 崖のしたから磯川警部が、ふとい猪首にじっとり汗をにじませてあがってきた。

「ああ、そう、それじゃあやっぱりここで自転車がころんだんですね。警部さん」

「はあ」

「それじゃ刑事さんたちにもう少しこのへんから、崖の下をさがしてもらってください。

そしてどのようなものにしろ、およそ人間の身につけるようなものを発見したら、だいじ

に持ってかえるようにって」

「はあ、承知しました」

 磯川警部がそのへんにちらばっている私服たちに、金田一耕助のことばをつたえおわる

のを待って、

「警部さん、それじゃわれわれはひとあしさきに、沖の小島へかえりましょう。あるきな

がら話すことにしようじゃありませんか」

「はあ、話してください。わたしにはだんだんわけがわからなくなってきた」

 適当の湿度をふくんだこころよい微風が、金田一耕助の蓬ほう髪はつをそよがせ、袂た

もとや袴はかまをばたつかせる。三人はしばらく黙々として歩いていたが、やがて耕助は

うるんだような眼をあげて、そばを歩いていく磯川警部をふりかえった。

「ねえ、警部さん、推理のうえで犯人を組み立てることはやさしいが、じっさいにそれを

立証するということはむつかしいですね。ことに新刑法では本人の自供は大して意味がな

く、物的証拠の裏付けがたいせつなんですが、この事件のばあい、完全に証拠を蒐集しう

るかどうか」

「それは、しかし、なんとかわれわれが努力して……」

「はあ、ご成功をいのります。それではだいたいこんどの事件の骨格をお話することにい

たしましょう」

 金田一耕助はなやましげな視線を蜃気楼島の蜃気楼にむけて、

「さっきの話でもおわかりのとおり、志賀夫人は昨夜あそこにいなかったんです。少なく

とも十一時半から十二時ごろまで、すなわち、樋上四郎があの座敷にがんばっているあい

だ、奥さんがあそこにいなかったことはたしかですね。では、奥さんはどこにいたのか、

おそらく対岸の町にいたのでしょう。そして、犯行の時刻を十一時ごろとみて矛盾がない

とすれば、奥さんはむこうの町で殺されたんですね」

 磯川警部はギクッとしたように眼をみはり、耕助の顔を視なおした。

「金田一さん、そ、それはほんとうですか」

「はあ、これはもう完全にまちがいないと思います。なぜといってさっきお眼にかけたあ

の腕輪は、ランチのなかで発見されたのだから。その点についてはおじさんも証人になっ

てくれると思います」

 久保銀造は無言のままおもおもしくうなずいた。

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