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蝙蝠と蛞蝓 三(1)
日期:2023-12-18 11:04  点击:259

 いったい、その家というのは路地の奥にあるせいか、よくお妾めかけが引っ越してく

る。このまえ住んでいたのも女給あがりのお妾だったが、その後へ入ったお繁もお妾であ

る。お繁がその家へ入ってから三年になるが、戦争中はたいそう景気がよかった。それと

いうのがお繁の旦那が軍需会社の下請けかなんかやっていて、ずいぶんボロイ儲けをして

いたからだ。

 ところが敗戦と同時にお繁の運がかたむきはじめた。まず、旦那が警察に引っぱられた

のがけちのつきはじめだった。聞くところによると、終戦のどさくさまぎれに、悪どいこ

とをやったのが暴露して、当分娑しや婆ばへ出られまいとのことである。だが、そのころ

お繁はまだそれほど参ってはいなかった。戦争中旦那からしぼり上げた金がしこたまあっ

て、当分、楽に食っていけるらしかった。ところが、そこへやってきたのが貯金封鎖、つ

いでもの凄すごいインフレだ。貨幣価値の下落とともに、彼女は二進につちも三進さつち

もいかなくなった。お繁が二言目には死にたい、死にたいといい出したのはそれ以来のこ

とである。

 もっともこの女には昔からヒステリーがあって、よく発作を起こす。ただしその発作た

るや唐紙を破るとか、着物を食いやぶるとか、ひっくりかえって癪しやくを起こすとか、

そういうはなばなしいやつではなくて、妙に陰にこもるのである。その発作がちかごろ慢

性になったらしい。すっかり窶やつれて蒼あお白じろい顔がいよいよ蒼白くなった。い

や、蒼白いというよりは生気のない蒼黒さになった。そして、髪もゆわず、終日きょとん

と寝床の上に坐すわっている。外へ出ると、世間の人間、これことごとく敵である、とい

うような気がするらしい。

 こういうわけでお繁はもう、広い世間に身のおきどころのないような心細い気持ちにな

り、さてこそ、ちかごろ死にたい、死にたいとやりだしたわけだ。しかも彼女は口に出し

ていうのみならず、紙に向かって書きしるす。まず彼女は縁側に机を持ち出す。そのうえ

に巻紙をひろげる。そして、書置きのことと、わりに上手な字で書く。そしてそのあとへ

さんざっぱら、悲しそうなことを書きつらねる。書きながら、ボタボタと涙を巻紙のうえ

に落とす。これがちかごろの日課である。

 ところで、お繁の家のすぐ裏には、三階建てのアパートがあって、その二階に湯浅順じ

ゆん平ぺいという男が住んでいる(これは下書きだから、おれの本名を書いとくが、いよ

いよの時には、むろん名前は変えるつもりだ)。順平の部屋の窓からのぞくと、お繁の家

が真下に見える。障子が開いてると座敷の中は見み透とおしで、床の間の一部まで見え

る。順平はまえからお繁が嫌いであったが、ちかごろではいよいよますます、彼女を憎む

ことがはげしくなった。髪もゆわずに、のろのろしているお繁を見ると、日陰の湿地をの

たくっている蛞蝓なめくじを連想する。順平は蛞蝓が大嫌いだ。

 そのお繁がちかごろ縁側に机を持ち出して、毎日お習字みたいなことをやりだしたのは

よいとして、書きながら、しきりにメソメソしている様子だから、さあ、順平は気になり

だした。この男は一度気になりだすと、絶対に気分転換ができない性たちである。そこで

ある日こっそりと、友人の山名紅吉のところから持ち出した双眼鏡で、お繁の書いている

ところのものを偵察したが、するとなんと書置きのこと。

 これには順平も驚いた。驚いたのみならず、にわかにお繁が憐あわれになった。いまま

で憎んでいたのが相あい済すまぬような気持ちになった。自業自得とは申せ、思えば不ふ

愍びんなものであると、大いに惻そく隠いんの情をもよおした。

 こうして順平が同情しながら、一方、心ひそかに期待しているにもかかわらず、お繁は

いっこう彼の期待に添おうとしない。つまり自殺しようとせんのである。それでいて、毎

日、『書置きのこと』を手習いすることだけはやめんのだから妙である。はじめのうち順

平は、正直にきょうかあすかと待っていたが、しまいにはしだいにしびれが切れてきた。

「ちきしょう自殺するならさっさと自殺しゃアがれ!」

 だが、それでもまだしゃあしゃあと生きているお繁を見ると、順平はムラムラと癇かん

癪しやくを爆発させた。

「ちきしょう、ちきしょう。あいつは結局自殺なんかせんのだ。書置きを書くのが道楽な

んだ」

 ところがある日、順平は大変面めん妖ようなことを発見した。昨日までメソメソとし

て、書置きばかり書いていたお繁が、きょうは妙ににこにこしている。久しぶりに髪も取

り上げ、白粉おしろいも塗り、着物もパリッとしたやつを着ている。はて、面妖な、これ

はいかなる風向きぞと、順平が驚いて偵察をつづけていると、まもなく彼女はどこから

か、手の切れそうな紙幣束を持ち出して勘定をはじめたから、さあ、順平はいよいよ驚い

た。驚くというより呆あきれた。呼い吸きをのんで双眼鏡をのぞいてみると、札束はたっ

ぷりと一万円はあった。お繁はそれを持って久しぶりに、しゃなりしゃなりと外出して

いったのである。

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