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蝙蝠と蛞蝓 三(2)
日期:2023-12-18 11:05  点击:273

 あとで順平が、狐きつねにつままれたような顔をして、ポカンと考えこんでいた。いっ

たい、どこからあんな金を──と、そこで、彼ははたと膝ひざをたたいたのである。まえの

晩のことである。お繁は二、三枚の着物を取り出して、妙に悲しげな顔をしながら、撫で

たりさすったりしていたが、さてはあの着物を売りゃアがったにちがいない……。

 この金があるあいだ、お繁は幸福そうであった。毎日パリッとしたふうをして、いそい

そと楽しげに出かけていった。そして毎晩牛肉の匂においで順平を悩ませ、どうかする

と、三味線など持ち出して浮かれていることもあった。ところがそれも束の間で、日がた

つにしたがって、風船の中から空気が抜けていくみたいに、眼に見えて、お繁の元気がし

ぼんでいった。そして髪もゆわず、白粉気もなくなり、寝間着のままのろのろしている日

が多くなったかと思うと、またある日、縁側に机を持ち出して、書置きのこと。

 お繁はなんべんもなんべんもそんなことを繰り返した。そして、いよいよますます、順

平をじりじりさせた。この調子でいけば、お繁の自殺は、いつになったら実現するかわか

らん、と順平は溜息をついた。着物道楽の彼女は、まだまだ売代にこと欠かん様子であ

る。インフレはますます亢こう進しんしていくが、その代わり、着物もいよいよ高くなっ

ていくから、この調子ではあと一年や二年、寿命が持つかもしれん。それにだ、お繁はま

だ若いのである。お化粧をして、パリッとしたみなりをしているところを見ると、まだま

だ男を惹ひきつける魅力を持っとる。いつなんどき、ヤミ屋の親分かインフレ成金がひっ

かからんもんでもない。そうなったらもうおしまいである。未来永えい劫ごう、彼女の自

殺を見物するという楽しみは消し飛んでしまう……。

 順平はだんだんあせり気味になったが、そういうある日、お繁は妙なものを買ってき

た。金魚鉢と金魚である。世の中には金があると、うずうずして、なんでもかんでも手当

たりしだい、買わずにいられんという人間があるもんだが、この女もそういう人種のひと

りにちがいない。順平もそういう金魚鉢を、ちかごろ表通りのヤミ市でたくさん売ってる

のを知っているが、そこから買ってきたにちがいない。ふつうありきたりのガラスの鉢

で、縁ふちのところが巾きん着ちやくの口みたいに、ひらひら波がたになっているあれ

だ。中に金魚が五、六匹泳いでいる。

 つまらんものを買ってきたなと順平は心で嗤わらったが、お繁がこの金魚ならびに金魚

鉢を大事にすることは非常なものである。彼女は毎日水をかえてやる。ところが、この女

はモノメニヤ的性向が多分にあると見えて、水をかえてやるのが大変なのである。彼女は

いちいち物もの尺さしを持ってきて、水の深さを測量する。なんでも、金魚鉢の首のとこ

ろまで、きっちりしなければ承知ができんらしい。それより多くても少なくても、注ぎ足

したり汲み出したり、そして、そのたびにいちいち物尺で測り直すのだから大変だ。さ

て、ようやく水の深さに納得がいくと、こんどはそれを、床の間へかざるのがまたひと仕

事だ。なんでも、左の床柱からきっちり一尺のところへ置かんと気がすまんらしい。これ

また、いちいち物尺で測ったのちに、やっと彼女は満足するのである。

 こういう様子を見ていると、順平はいちいち、神経をさかさに撫でられるようないらだ

たしさを感じた。切なくて呼吸がつまりそうであった。ちきしょう、ちきしょう、ちき

しょう。──と、全身がムズがゆくなるようないらだたしさに、順平は七転八倒するのであ

る。殺してやる、殺してやる、殺してやる。──と、つい夢中になって叫んでいるうちに、

彼ははっとして、自分の心のなかを見直した。そして、恐ろしさに、ブルルと身をふるわ

せた。しばらく彼は、しいんと黙りこんで、視線のさきをあてもなく見つめていた。

 ふいに彼はけらけらと笑った。それから、なぜいけないんだ。あの女を殺すことがどう

していけないんだと自問自答した。あの女は蛞蝓である。蛞蝓をひねりつぶすのに、なん

の遠慮がいるものか。しかもあいつは道楽とはいえ、死にたがって毎日ほど書置きを書い

ているのではないか。

「よし」

 と、そこで順平は決心の臍ほぞをさだめる。すると、近来珍しく、胸中すがすがしくな

るのを感じたが、しばらくすると、しかし、待てよと、また小首をひねった。あの女は蛞

蝓である。その点、疑う余地はない。しかし、あの女の正体を看破しているのは自分だけ

である。世間ではあいつ、立派に人間の牝めすでとおっている。とすれば、あんなやつで

も殺したら、いや、殺したのが自分であるということがわかったら、やっぱり自分は警察

へ引っぱられるかもしれん。悪くすると死刑だ。死刑はいやだ。蛞蝓と生命の取りかえは

まっぴらである。

 ここにおいて順平が思いついたのが、蝙蝠男の耕助のことである。そうだ、そうだ、蛞

蝓を殺して、その罪を蝙蝠にきせる。おれの代わりに蝙蝠が死刑になる。ここにおいてお

れははじめて、めでたし、めでたしと枕を高くして眠ることができる。ああ、なんという

小気味のよいことだ。考えただけでも溜飲がさがるではないか……。

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