四
金田一耕助はまたいそがしくなりそうだった。
この男はよっぽど貧乏性にうまれついているとみえて、ゆっくり静養もできないよう
に、いたるところに事件が待ちうけているらしい。ことにこの事件のばあい、かれはひと
かたならぬ興味と好奇心にもえていた。松代の腋の下にあるあの奇怪な肉腫に、かれはこ
のうえもなく興味をそそられるのだ。
人じん面めん瘡そう。──
人面の顔をした肉腫に関する伝説は、日本にも中国にも、古くから語りつたえられてい
る。なかには人面瘡が人間の声で歌を歌ったなどという、奇抜な伝説さえのこっている
が、それらの多くはとるに足らぬ浮説で、科学的にはなんの根拠もなさそうだった。
たまたま、肉腫に生じた皺しわや凸凹が、眼、鼻、口に符節しているところから、その
ような伝説が生じたのであろう。
ところが、ゆうべ金田一耕助の見た人面瘡は、そんな怪しげなものではなさそうだっ
た。
ふたつの眼は単純な皺などではなくて、はれぼったい瞼まぶたをひらけば、そこに水晶
体の眼球があるにちがいないと思われた。
鼻も偶然の凸所などではなくて、不完全ながら、ふたつの鼻び孔こうをそなえているよ
うに見えるのだ。
唇もいろこそ悪いが、たしかに人間の唇のようにみえ、それを開くとそのおくに、歯な
みがあるのではないかと思われた。
それでいてその顔は、野球のボールくらいの大きさなのである。
南洋の土人のなかには、人間の生首を保存する方法をしっている種族がある。
それには頭ず蓋がい骨こつを抜きとってしまうのである。頭蓋骨をぬかれた首は、野球
のボールくらいの大きさに収縮するが、それでもなおかつ、もとの顔のかたちを完全に
保っているのである。
金田一耕助もある大学の医学教室に、そういう生首の標本が保存してあるのをみたこと
があるが、ゆうべ見た松代の人面瘡からうける感じは、そういう生首によく似ていた。
昨夜──と、いうより今暁思わぬ活躍をした金田一耕助は、明方ごろやっと眠りについ
て、眼が覚めたのは十一時ごろだった。
朝昼兼帯の食事をすませた金田一耕助が、縁側へ籐とう椅い子すをもち出して新聞を読
んでいると、谿けい流りゆうの音にまじって、どこかで蟬せみがないているのが聞える。
夜は冷えこむが日中はまだまだ暑いのだ。
新聞にはべつに変ったことも出ていなかった。金田一耕助はそれを小卓のうえに投げ出
すと、ぼんやりとゆうべ見た人面瘡のことを考えていたが、そこへ磯川警部が庭のほうか
ら汗をふきながらやってきた。
「やあ、お早うございます」
「お早う……と、いう時刻じゃありませんがね」
と、金田一耕助は白い歯を出してわらいながら、
「警部さんはゆうべ眠らなかったんでしょう」
「はあ。……でも、こんなこと慣れてますからな」
と、磯川警部は赤く充血した眼をショボショボさせながら、それでも元気らしく、金田
一耕助のまえの籐椅子にどっかと腰をおろした。
「お元気ですねえ。警部さんは……ぼくはどうも睡眠不足がいちばんこたえます。意気地
がないんですね」
「なあに、こちとらは先生みたいに脳ミソを使いませんからな。頭を使うひとにゃ睡眠不
足がいちばん毒でしょう」
「ときに、検けん屍しは……?」
「はあ、いますんだところです」
「死因は……?」
「解剖の結果をみなければ厳密なことはいえないわけですが、だいたいにおいて、溺でき
死しと断定してもよろしいでしょうねえ」