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人面瘡 五(1)_人面瘡(人面疮)_横沟正史_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3334

 松代が薬師の湯へ女中として住み込んだのは、昭和二十年六月、戦争がまだたけなわの

ころだった。

 彼女ははじめから女中としてここへやってきたのではない。三月の大空襲で大阪を焼出

された彼女は、ほとんど着のみ着のままの姿で、郷里の岡山県へ疎開してきたらしい。

 しかし、当時の都会人と農村のひとたちとのあいだには、とかく意志の疏そ通つうをか

いていた。農村のひとたちもいいかおをしていれば、つぎからつぎへと疎開してくる都会

の連中に、喰いつぶされるおそれがあった。

 物質でももっていればともかくも、松代のように着のみ着のままの疎開者は、農村とし

てももっとも迷惑な存在だった。けっきょくどこへいってもあたたかく松代を迎えいれて

くれる家はなかったらしく、彼女はまるで乞食のように諸処方々を転々しなければならな

かった。

 そして、絶望のあまり自殺一歩手前の心境で、辿たどりついたのがこの薬師の湯であ

る。

 当時、薬師の湯は軍に徴用されて、傷病兵の療養所になっており、いくら手があっても

足りない状態だった。

 そのじぶん女あるじのお柳さまはまだ達者だったが、良人はとっくの昔に故人になって

おり、ひとり息子の貞二君は兵隊にとられて満州にいた。だから、しっかりもののお柳さ

まが三人の女中をあいてに、てんてこまいをしているところへ、ころげこんできたのが松

代である。

 お柳さまは一も二もなく松代をひろいあげて女中にした。猫の手も足りないくらいの当

時の事情では、氏うじ素す姓じよう、身許しらべなどしているひまはなかったのである。

 使ってみると松代はかげ日ひ向なたなくよく働いた。

 松代は口数の少い女であった。それとどっか暗いかげを背負うているような淋さびしい

ところがあるのが難だったが、気性のやさしい、細かいところまでよく気のつく、まめや

かな性質が、女あるじのお柳さまの気にいった。

 傷病兵たちのあいだでも人気があって、松代はひっぱりだこだった。淋しいところを難

としても、松代は美人でとおるに十分な器量の持主だった。傷病兵の二、三から求婚され

たという噂うわさもあったくらいだ。

 やがて戦争がおわって、薬師の湯が昔の経営状態にかえっても、松代はひまをとろうと

しなかった。お柳さまもまた松代を手ばなそうとはしなかった。

 お柳さまは日ましに松代がかわいくなり、いつか、貞二が復員してきたら……と、楽し

い夢想をえがくようにさえなっていた。

 ただ、それにたいして大きな障害となったのは、松代の素す姓じようがわからないこと

だった。

 どういうわけか、松代はどんなに訊かれても、じぶんの素姓を打ちあけようとしなかっ

た。故郷が岡山のどこなのか、大阪でなにをしていたのか、いっさい口をつぐんで語ろう

とはしなかった。

 あんまりしつこく訊くと泣き出すしまつで、どうかすると熱を出して寝ついたりした。

なにかしら過去について、よほどひとにしられたくないことがあるらしく、あんまりそれ

を追求すると、ひまをとって出ていきそうにするのだった。

 それがお柳さまにとっては不安の種だったが、しかし、そのことを除いては、松代のす

べてがお柳さまの気に入っているので、彼女に出ていかれては困るのであった。

 松代が前身をひたかくしにしていることに、絶えず不安と危き懼くをかんじながらも、

お柳さまはやはり松代にたいする信頼をうしなわなかった。

 長いあいだ湯治宿を経営していて、いつも数人の奉公人を使ってきたお柳さまは、ひと

を見る眼をもっているという自負があった。

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11/11 14:50
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