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第一章 汝夜歩くなかれ--汝夜歩くなかれ(1)
日期:2023-12-19 16:17  点击:291

汝夜歩くなかれ

 仙石直記のドスぐろい因いん縁ねん噺ばなしはまだまだつづくのだが、そのまえにかれ

と私との関係を述べておくことにしよう。

 直記の家はまえにもいったとおり、古神家の家老の家筋で、維新後もひきつづき同じ邸

内に住み、代々家令だか執事だか、そんな役を勤めて来たらしいが、直記の父の鉄之進に

いたっては、事実上、古神家の支配者みたいな地位にあるらしい。

 そういう人物の倅せがれだから、直記も物質的には恵まれている。学生時代から金使い

のあらいので有名であった。戦後も多くの金持ちが、財産税やなにかでバタバタ倒れたな

かに、古神家のみはビクともしない。郷里に杉と檜ひのきの大山林を持っているせいだそ

うで、戦前よりはかえって景気がよいらしい。だから近ちか頃ごろの直記の金使いっぷり

と来たらお話にならない。さながら湯水の如しといいたいが、そこがお殿様と御家老のち

がいとでもいうのか、直記の金の使いっぷりには鷹おう揚ようなところがない。金を使う

ことは使うがどこか勘定高いところがある。心底から馬鹿になれない性たちなのである。

 私はこの直記と学校で識しり合った。学校は某私立大学の文科で、私ははじめから小説

家志望だったが、直記は別に何が志望というわけでもなく、一番入り易やすいところへも

ぐりこんだというべきだろう。だから、学校を出てからも、仕事らしい仕事は何ひとつせ

ず、ただブラブラと女おんな漁あさりばかりやっている。

 私の郷里はまえにもいったとおり、古神家の支配下にあった一寒村で、家は代々貧農で

あった。しかし、明治の終わりごろ、親おや爺じが東京へとび出して来て以来、郷里とは

だんだん縁がうすくなり、ことに学生時代に親爺とおふくろがあいついで死亡してから

は、全然縁が切れてしまったようなものである。私など一度も郷里へかえったことはない

くらいだ。

 直記もやはり同じことで、古神家の旧支配地へ一度もいったことがないといっている

が、それでも変なもので、私が同郷の出身であることを知ると、妙に好意を示しはじめ

た。物質的にも何かと面倒を見てくれた。私自身は直記という人物に、かくべつ好意も悪

意もかんじないが、何しろ親爺が下級の公吏で、私が大学へいくのさえ間違っているよう

な家だったから、何しろ苦しいし、苦しいから直記の物質的援助だけは一応有難かった。

 しかし、まえにもいったとおり、直記の金のつかいっぷりには、どこか勘定高いところ

がある。使っただけのものは、必ず何かのかたちで取り戻そうというところがあるから心

底から有難くかんじたことは一度もない。いや、有難く思うどころか、横柄で、わがまま

で、お天気で、露悪家でそれでいて、自分からいっているとおり、小心でこすっ辛からい

と来ているから、ムカムカするような事が始終ある。

 それでいて喧けん嘩か別れをしてしまえないのは、売れない小説家である私には、やは

りパトロンが必要なのだ。内心のいまいましさをおさえては、なるべく尻尾しつぽをふる

ことにしている。直記だってバカではないから私の気持ちはよく知っている。知っていな

がら縁を切ってしまわないのは、昔からの因縁で、私を使うのが何かにつけて便利な場合

が多いからである。殊に女の尻しり拭ぬぐいなどさせるには、私がいちばん便利だからで

あろう。だからわれわれの間には、友情などというものは微み塵じんも存在しない。お互

いに少しも相手を尊敬していないし、ことに直記が私を軽けい蔑べつしきっている証拠に

は、かなり長いつきあいにも拘かかわらず、私は一度もかれの家へ招かれていったことが

ない。年齢はふたりとも三十五歳、寅とら年どしだから私は屋代寅太というわけである。

 さて、これでだいたいわれわれの関係もわかったことだろうから、直記の話をつづける

ことにする。

「さて、八千代が佝僂画家の蜂屋小市を狙そ撃げきしたわけだがね」

 と、ウイスキーをほとんどひとりで空からにした直記は、蒼あお白じろんだ額に、みみ

ずのような血管を二本、ニューッと無気味に走らせながら、瞳めをすえて語りつづける。

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