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第一章 汝夜歩くなかれ--汝夜歩くなかれ(4)
日期:2023-12-19 16:18  点击:269

 私が息をのんでその写真を見ていると、直記がそばから口を出した。

「どうだろう。それ、蜂屋だろうか」

「どうだかわからん。しかし蜂屋がこういうふうをしていることはよくある。たいへん似

ているようにも思うが……」

「ところがね、守衛のやつもときどきそういうなりをすることがあるんだ。つまりその写

真は、守衛のすがたにもたいへんよく似ているんだよ」

 私はぎょっとして唾つばをのみこんだ。それからしばらく、息をこらして直記の顔を視

み詰つめていた。何かしら、えたいの知れぬ無気味さが、ムズムズと背中を這はうかんじ

であった。直記の血走った、瞳めのなかにも、なにやら狂気じみた色がうかんでいた。

「それじゃ、これ、守衛のしわざだというのかい」

「わからない。はっきり断言するわけにはいかぬ。しかし、あいつならそれくらいのこ

と、やりかねまじき奴なんだ。陰険で、ねちねちとして、妙に芝居がかったところのある

奴なんだ。それに手紙の文句から見て、古神家の内情に精通しているらしいこともわかる

しね」

 私はもう一度便箋の文字を見直した。それはペンで書いた字だったが、活字のように一

字一字ていねいに書いてあった。

「これはわざと筆跡をゴマ化すためにこう書いたんだね。まえの二通もこれと同じ書体

だったのかい」

「うん、これと同じだ」

「ところで、ここに書いてある、汝夜歩くべからずというのはどういう意味だね」

「それだよ、それがあるからこの手紙の主は、いよいよ深く古神家の内情に精通してると

思われるんだよ。八千代にはね、夜歩くくせがあるんだ。つまり夢遊病だね。こんなこ

と、古神家のもの以外は、絶対に誰も知らないことなんだが……」

 私はもう一度唾をのみこんだ。あまりといえばあまりにも道具だてがそろいすぎてい

る。ひょっとすると直記が、からかっているのではあるまいかと思ったが、相手の顔を見

ると、すぐその疑いも消えてしまった。噓うそや冗談でああも狂気じみた眼付きが出来る

ものではない。

「いや、君が疑うのも無理はない。しかしこりゃアみんなほんとの話だよ、まったく古神

家と来たら化ばけ物もの屋敷も同然なんだ。どいつもこいつも化物だよ。むろん、このお

れだってその一類だがね」

 直記は乾いた声でドスぐろくせせら笑うと、

「ところで、八千代がキャバレー『花』で蜂屋小市を狙そ撃げきした理由も、これでおお

かたわかるだろう。この手紙を受け取った三日目の晩だかに、偶然ああして蜂屋にぶつ

かったもんだから、八千代のやつ、てっきり手紙の主が、見参に現われた──と、こう思っ

たんだね。そこで、夢中でピストルをぶっぱなしたんだそうだ。これは最近になって聞い

たことなんだがね」

 話をきいてみると、八千代さんの突飛な行動も、あながち無理ではないように思われ

る。彼女にとっては佝僂は恐ろしい夢魔なのだ。おそらく彼女は世界中の佝僂という佝僂

を、片っぱしから抹殺したいと思っているにちがいない。殊にああいう恐ろしい手紙を受

け取った直後に、よく似たすがたの佝僂に出会ったとしたら、若い女として前後を忘れる

のも無理のないところかも知れない。弱い女ならば気絶でもするところを、逆に彼女は

かッとして、兇暴な発作にとらわれたのであろう。妙な話だといえば妙な話だが、この話

ははじめから終りまで何もかも妙に出来ているのだ。歪ゆがんだ世界の出来事なのだ。

「なるほど、それで八千代さんが蜂屋を狙撃した理由はわかるが、八千代さんが蜂屋と結

婚しようというのはどういうんだ。その後、八千代さんは蜂屋と識り合いになったのか

い」

「そうなんだ。あの事件のあとで新聞を見て、はじめて蜂屋のひととなりを知った。どう

やら人違いだったらしいことに気がついた。と、同時に蜂屋のいろんな逸話を知って、何

んとなく興味をおぼえたんだね。八千代ってそういう女なんだよ。いかもの喰ぐいなん

だ。で、のこのこと入院中の蜂屋のもとへ見舞いにいったそうだ。蜂屋のファンだという

ふれこみでね」

 私は眼を丸くして驚いた。

「だって、そりゃ……危険千万な話じゃないか。狙撃犯人と看かん破ぱされたら……」

「ところが八千代の奴、その点についちゃ絶対自信を持ってたそうだ。これも今度はじめ

てきいた話だが、八千代のやつ、ああいうようにハメを外す場合は、いつも変装してるん

だそうだ。あいつにいわせると、近代の化粧法は変装におあつらい向きだそうだ。眉まゆ

のひきかた、つけ睫まつ毛げ、口紅の塗りかた、髪の色だって変えるし、頰ほおをふくら

ませたり、ひっこめたり、西洋人のように眼を落ちくぼませたり、自由自在だというん

だ。そういうことをあいつは実によく研究してるんだよ。変なやつでね。まるで女のジキ

ル・ハイドだよ、あいつは……」

「なるほど、しかし、蜂屋ほどの男が、それに騙だまされるとは思えないね。案外、それ

と気がついていながら、騙されているようなふうをしているんじゃないか」

「ふん、そんなこともあるかも知れん。あいつにとって損な役やく廻まわりじゃないから

ね」

「で、君はこのぼくをどうしようというんだい。こんな話をぼくにして、いったい、ぼく

に何を期待しようというんだい」

「さあ、そこだよ。寅さん」

 直記は急にからだをまえに乗り出すと、

「実は、蜂屋の奴が一週間ほどまえからうちに泊りこんでやアがンだよ。むろん、八千代

が招待したのさ。ところがああいうずうずうしいやつだから、まるで傍若無人なんだ。

すっかり八千代を情婦あつかいにしてさ。このおれでさえ業が煮えるくらいだから、守衛

のやつがイライラするのも無理はなかろう。そうでなくとも佝僂と佝僂だ、お互に反はん

撥ぱつしあわアね。そこへもって来て恋の鞘さや当あてと来てるから実にもって雲行き険

悪なんだ。何しろこの話、はじめから変だろう。いまに何か起こりゃしないかと──さすが

無軌道な八千代のやつも、近ごろ少々不安になって来たらしい。と、いってまだ何も起

こってるわけじゃないから警察へ持ち出すほどのことでもなしね。そこでおれがふと、君

の話を持ち出したもんだ。すると八千代のやつ大乗気で、ぜひとも君をつれて来てくれと

いうんだ。女というやつはバカだから探偵小説家といえば、小説のなかの名探偵同様、あ

たまがいいものと思いこんでやアがンだよ。あっはっは」

 直記は毒々しい声をあげて笑ったが、私はかれにいくら嘲ちよう弄ろうされても一言も

ない。口惜しいけれどこの私、屋代寅太という人間は、売れない哀れな三流探偵小説家な

のである。

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