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第一章 汝夜歩くなかれ--明かずの窓(2)
日期:2023-12-19 16:27  点击:234

「直記さんや」

 のろのろとした、甘ったるい調子でその男は直記に呼びかけた。口のなかにいっぱい唾

つばがたまっているような声だった。直記はそっぽを向いて返事もしなかったので、かわ

りに八千代さんが声をかけた。

「叔お父じさん、どうかしたの、何か御用?」

「う、う、八っちゃん、こ、これ、どうしたもんじゃろうなあ」

 ずうっと前へさし出したものを見て、われわれは思わずビクッとうしろへ身をひいた。

それは抜身のままの白刃だった。氷のような冷たい光が、ひやっとわれわれをちぢみあが

らせた。

「バ、バカ、馬鹿!」

 直記は突然立ち上がって、その男の手から抜身をうばいとった。

「抜身のままさげて来るやつがあるか、鞘さやはどうしたんだ鞘は……」

「鞘はここにあるがな」

 左手でうしろにかくしている鞘を、男はのろのろとまえに出した。直記はそれをひった

くると、パチンと刀を鞘におさめて、

「これはこちらへ預っておく。あんたはあっちへいっていらっしゃい」

「ええかな。また、さっきみたいな間違いがあると困るぞな。仙石もええ男じゃが、酒を

飲むと、どだいわやじゃ。あっちの御ご仁じんが木の根につまずいて倒れたときには、わ

しはぎょっとして冷汗が出たがな」

「よろしい、よろしい。そんなことはもう忘れてしまいなさい。これはしっかりこっちで

預っておく」

「そうかな。それでは直記さん、よろしゅう頼みますぞ」

 ニヤニヤわらいながら、なめるように一同の顔を見廻すと、その男はドアをしめて、の

ろのろと立ち去っていった。

「誰だい、直記、あの男は……」

 直記のかわりに八千代さんがこたえてくれた。

「あたしの叔父さん」

「あなたの叔父さん?」

「ええ、そう、父の弟よ」

「なに、先代の異母弟さ。先々代が女中にうませて、どこかへ里子にやってあったのを、

うちのおやじが妙な義ぎ俠きよう心を起こしてひろって来てやったのさ。この家の飼い殺

しさ。あの年になってまだ女房もない」

「少し……」

 と、いいかけて、私はすぐ気がついて口をつぐんだ。守もり衛えや八千代さんの前であ

ることに気がついたからである。蜂屋はしかし、そんなことに遠慮するような男ではな

かった。

「少しどころか、大々的パア太郎さ。屋代君は知らないのかい。この古神家という家は、

古池のように血がにごっているんだ。どいつもこいつもひとりとして、ましな人間はいや

アしねえ。からだばかりか、精神までみんな片輪だ」

 ふいに守衛がすっくと立ち上がった。私はその顔を見てまったく驚いてしまったのであ

る。弱くて、卑屈で、臆おく病びような男も、ある限界に達すると、それ以上屈辱に耐え

ていけないことを、そのときの守衛の表情がよく物語っている。守衛の顔は真まっ蒼さお

にひきつっていた。憎悪にくらんだような瞳どう孔こうが、まっくろにひろがって、異様

に熱っぽくギタギタと光っている。何かいおうとするらしかったが、舌がもつれて口が利

きけないらしい。顎あごばかりガタガタふるえている。

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