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第二章 大惨劇--壁の文字(4)
日期:2023-12-20 12:58  点击:226

「ふうむ」

 直記は鯨が汐しおを吹くように、長い溜ため息いきを吐き出すと、

「なるほど、すると蜂屋のやつ、昨夜ここで八千代と逢あい曳びきするつもりだったんだ

ね」

「そうだろう。多分、八千代さんはそれをすっぽかした。しかし、そのことが気になって

いたものだから、真夜中になってふらふらとここへやって来たのだろう」

「なるほど、それで辻つじ褄つまがあう」

 直記はやっと気が落ち着いたらしい。

 私たちはそれから建物のなかを隈なく捜してみたが、兇器はおろか、これはと思うよう

なものは何一つ発見することは出来なかった。

「ようし、これでこっちのほうは片付いたとして、つぎはどうするんだ」

「八千代さんのスリッパを調べてみるんだね」

「よし、じゃ、いこう」

 暗い洋館から外へ出ると、パッと照りつける日光に、私はめくるめくような感じだっ

た。胸がムカムカとして嘔おう吐とを催しそうであった。

 林を抜けて向こうを見ると、母おも屋やの縁側に鉄之進とお柳さま、それに四方太の三

人が出てこちらを見ていた。鉄之進も寝ていたところを叩たたき起こされたらしく、どて

らの前を臍へそまで見えるほどはだけている。御自慢の髭ひげがぶるぶるふるえていると

ころを見ると、この人もよっぽど昂こう奮ふんしているらしい。それにくらべるとお柳さ

まはえらいものだ、冷然としてあらぬかたを眺めているのである。

 鉄之進が何かいうと、庭先のつくばいに手をついていた源造が、ばらばらとこっちへ

走って来た。

「源造、誰もはなれへいっちゃいかんぞ。おやじにはあとから行くといっとけ」

 直記はそういい捨てると、鉄之進のほうへは見向きもしないで、さっさと洋館のほうへ

入っていった。

「お藤、お藤!」

 呼ぶとお藤が紙のような真っ白な顔をして、女中部屋からとび出して来たが、そのと

き、私がちょっと妙に思ったのは、お藤の眼がぬれているように見えたからである。若い

女のことだから、兇行をきいておびえるのも無理はない。しかし、何んだって泣かねばな

らなかったのだろう。

「お藤、八っちゃんは……?」

「はあ、あの、まだお眼覚めではございません」

「守衛さんは?」

「それがどこにもいらっしゃらないので……御前様のおいいつけで、ずいぶん捜してみた

んですけれど……」

 直記は不思議そうに私をふりかえった。

「屋代、守衛はいったいどうしたんだろう。あの体だから滅多に外へ出ることはないんだ

……」

「妙だね」

「まあ、いいや、お藤、もっと捜して御覧。屋代、いこう」

 八千代さんの寝室は階下の一番奥にある。ノックしたが返事がないので、把とつ手てを

ひねると、なんなくドアはひらいた。

 私はちょっとためらったが、直記がかまわず入っていくので、仕方なしにあとからつい

て入った。八千代さんはいったん眼ざめて、それからまた眠りに落ちたにちがいない。窓

が半分ひらいていて、薄桃色のカーテンがひらひらしている。八千代さんは微風に髪をな

ぶらせながら、いかにも気持ちよさそうに眠っている。こうして寝ているところを見る

と、あの無軌道さや、やんちゃ振りや、露悪趣味は長い睫まつげの下に封じこめられて、

童女のようにきよらかに見える。

 私たちは彼女の眠りをさまたげないように、そっとベッドのそばによると、脱ぎすてて

あるスリッパをとりあげたが、すぐそれをもとどおりにおいて部屋を出た。

 スリッパの裏はどす黒い血で染まっていた。

「よし、今度は金庫のなかだ」

「しかし、あれは……仙石、大丈夫だろうじゃないか。あんなに厳重にドアをしめておい

たのだから」

「まあ念のためだ。調べておこう。ちょっと待っていてくれたまえ」

 直記は二階へあがっていったが、すぐ鍵かぎを持っておりて来た。

「誰もこの鍵にさわったものはないようだ。おれは昨夜この鍵を机の抽ひき斗だしのいち

ばん底におくと、うえから歯磨粉で、Sという字を書いておいたんだ。その文字は昨夜と

ちっとも変わっていなかった」

 食堂のとなりの書斎へ入っていくと、

「寅さん、君の符ふ牒ちようは?」

 私はちょっとためらったのち、顔をあからめて、口くち籠ごもった。

「ヤ、チ、ヨ」

 直記はジロリと私の顔を見ると、意地の悪いわらいをうかべながら、自分でぐるぐるダ

イアルを廻まわし、それから鍵を使って錠をひらいた。そしてちょっと息をうちへ吸いこ

むと、勢いよくドアをひらいた。村正はちゃんと金庫の中にある。

「それ、見ろ、やっぱりあるじゃないか。はっはっは、君はよっぽど神経がどうかしてい

るんだ。この金庫がむやみに開けられる筈がない。……」

 直記はそれでも気になるのか、村正をとりあげると、二、三寸鯉こい口ぐちを切った

が、そのとたん、悲鳴にも似たような叫び声をあげたのである。

「ど、ど、どうしたんだ!」

 私が驚いて駆け寄ったとき、直記の手から鞘さやがすべって、抜身だけが右手に残っ

た。そして、その抜身にはなんと血がべっとりと。……

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