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第二章 大惨劇--惚れ薬(1)
日期:2023-12-20 12:59  点击:279

惚れ薬

 私は人を斬きり殺したこともなければ、人を斬り殺した刀を見たこともない。しかし、

いま直記が右手にぶらさげてる刀についている、あの夥おびただしい血を見れば、この村

正こそ、蜂屋を殺し、蜂屋の首を斬りおとした兇器であるにちがいないと断定せざるをえ

なかった。

 だが、どうしてそんなことが可能なのだろう。金庫は厳重にしまっていた。鍵かぎは直

記が持っていたし、符号は私以外に知っているものは絶対にいない。直記ひとりでも私ひ

とりでもこの金庫のドアをひらくことは出来なかったのだ。いわんや余人においておや!

 私は急におそろしさがこみあげて来た。あの恐ろしい、ぞっとするような首なし死体を

発見したときよりも、もっと深刻な恐怖がじりじりと背筋を這はいあがって来るのをおぼ

えた。何かしら大声でわめき立てながら、そこら中駆けまわりたい衝動をおさえるのに、

困難をかんじたくらいだった。

 この事件はなにもかも狂っている!

 佝僂を殺して首を持ち去ったり、(いったい、何んの必要があって首を持っていったの

だ、蜂屋の体にはああいうれっきとした証拠の傷きず痕あとがあるというのに)二重の用

心ぶかさで閉ざされた金庫のなかの村正がいつの間にやら兇器として使用されていたり、

……私は何かしらそこに神秘な力、超自然な作用が働いているとしか思えなくなり、その

ことがぞっと私を総毛立たせるのだ。

 直記もしばらく凍りついたように立ちすくんでいた。喰くいいるような眼まな差ざし

で、べっとりと血にそまった刀身をながめていたが、ふいに、世にも恐ろしいものから遁

のがれようとするかのように刀を投げ出した。

「やっぱりおやじだ」

 投げ出された村正は、ぐさっときっさきを床に突っ立てると、二、三度ぶらぶらとゆれ

ていたが、やがてぴったり動かなくなった。私にはなにかしらそれが生あるもののように

思えて、ふたたび三度、背筋がジーンと冷たくなるのをおぼえた。

「馬鹿なことをいっちゃいかん」

 私は舌のさきで唇をしめしながら、やっと直記をたしなめた。

「お父さんにしろ誰にしろ、どうしてこの金庫をあけることが出来るんだ。君はさっき誰

もその鍵にさわったものはないといったじゃないか。それともこの金庫には、ほかに合鍵

があるのかい」

「いや、そんなものはない。もとは二つあったんだが、一つのほうは僕が自分の手で叩た

たきつぶしたんだ。だからこの金庫の鍵といえば、そこにあるのが一つきりなんだ」

「それじゃいよいよ誰にもこの金庫はあけられない筈はずだ。よしんば誰かがこっそり合

鍵をつくっていたにしろ、それだけでこの金庫はあかないことは君もよく知っている筈

じゃないか。符ふ牒ちようというものがある。僕は絶対に誰にも符牒をしゃべりゃしな

かった。だから、絶対に、絶対に、何なん人ぴとといえどもこの金庫をひらくことは出来

ない筈なのだ」

「だが、現在あの村正が兇器として使われている。いったい、これをどう説明するのだ」

「わからない。ぼくにもまだわからない。しかし、何んとかこれには合理的な説明がつく

筈なんだ。魔法使いじゃあるまいし、ドアをしめたまま中のものを出したり入れたり出来

るもんか。だから、何かそこに合理的な説明がつく筈なんだ。ぼくたちはいまむやみに昂

こう奮ふんしているものだからそれから目隠しをされているんだよ。つまり盲点のなかに

入っているんだ。だから、いまそうあせってこの事を考えるのはよそう。あせればあせる

ほど袋小路に突き当たるばかりだ。そしてそれこそ敵の思う壷つぼなのだ」

「敵……? 敵たア誰だい」

「自分自身の不明のことさ」

「おい、そんなソフィスティケートないいかたは止せ。それよりもさしあたりわれわれ

は、何をすればいいんだ」

「そうさね。まずこの刀はもう一度金庫のなかへ入れておこう。こいつは大事な証拠だか

らね。それから警察へ報告するのだ」

 時計を見るともう十二時を過ぎている。

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