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第二章 大惨劇--夜歩く人(1)
日期:2023-12-20 13:12  点击:280

夜歩く人

 お喜多婆アの出現と、彼女の爆弾的な証言は、私たちを戦せん慄りつさせたのみなら

ず、警察陣にも極度の緊張をもたらしたらしい。

 私たちはまた、血相かえて駆けつけて来た沢田警視のまえへ、ひとりひとり呼び出され

て、しつこい質問をくりかえされた。しかし、これは何度きかれても、また、どのような

疑いをうけても仕方のないことである。

 私たちは守もり衛えさんの太ふと股ももに、そんな傷があるとは夢にも知っていなかっ

た。もし、それを知っていたら、私たちもあの死体の鑑定に、もっと慎重を期したであろ

うし、また警察の人々にも、そのことを注意しておいたであろう。

 しかし、まさか守衛さんまで、同じような傷きず痕あとがあろうとは夢にも知らなかっ

たから、太股に傷がある──それもピストルで撃たれたらしい傷があるというだけで、私た

ちはそれを蜂はち屋やときめてしまった。傷の特徴だの、また詳細な位置などに注意を払

う才覚がなかったからとて、これは私たちの過失とはいえまい。

 警察ではいまさらのように、死体を火葬にしてしまったことを口惜しがったが、しか

し、幸い、そこには死体の詳しい写真がのこっていた。死体の特徴を示す唯ゆい一いつの

手がかりとして、あの弾だん痕こんのある部分も、大きく写真にとられていた。

 警察ではあらためてその写真を、蜂屋が狙そ撃げきされたとき入院していた病院の主治

医や、守衛の治療にあたった内藤医師に示して、意見をただしてみたようだが、新聞が報

道するところによると、それらの試みからはあまりはかばかしい結果はえられなかったら

しい。何しろ半年、あるいはそれ以上もまえの出来事だったし、病院や医院では、いちい

ち患者の患部を写真にとっておくわけではないので、どちらの医者も記憶がぼやけて、

はっきりとした断定を下すことを避けたようである。しかし、否とも応ともつかぬ二人の

医師の曖あい昧まいな態度からして蜂屋と守衛さんの傷痕は、大変よく似た位置にあり、

しかも、大変よく似た性質のものであったらしい。

 唯ただ、お喜多婆アだけは、写真を見ると、すぐにそれを守衛さんであると断言した。

あの佝僂の体つきも、それからまたあの太股の傷痕も、たしかに守衛さんであるといい

張って譲らなかったそうである。

 しかし、警察ではそれをそのまま信用していいかどうか迷ったらしい。何しろお喜多婆

アは、守衛さん可哀さのあまり、いちずに仙石父子やお柳さま、それから八千代さんを憎

んでいるのだから、かれらの不利になることなら、どんな大それた証言でもしかねまじき

状態だったし、それに守衛さんと、蜂屋の佝僂の体格が非常によく似たものであること

は、私たちのみならず召使い全部が申し立てているところである。

 それにまた、これこそ守衛さんである、もっともたしかな証拠だと、お喜多の指摘する

傷痕にしても、お喜多が、それほど正確に記憶していたかどうか疑わしい。そこは医者以

外にはめったに見せられぬ体の一部分であったから、守衛さんとお喜多がいかに心をゆる

しあった主従にせよ、そう度々見せもしなかったろうし、見もしなかったであろう。まし

てや、傷が癒えて以後は、お喜多といえども、ほとんど見る機会はなかったであろうと思

われる。

 だからあの死体は、蜂屋ときめてしまうことは出来なくなったが、さりとてまた、これ

を守衛さんと断定をするのも危険であった。結局、あの死体は蜂屋か守衛さんかわからな

いという、あの傷痕のない場合と同じ結果になってしまったのである。

 警察ではこういう意外な事件の進展について、いったいどういうかんがえを抱いている

のか、私にはわからなかった。

 しかし、それ以後、事件の取りあつかいが、にわかに慎重になって来たことは私たちに

も感じられた。沢田警視の私たちに対する訊じん問もん振りにも、言葉の裏からもうひと

つの意味を嗅かぎ出そうとする、執しつ拗ような疑いぶかさがありありと感得された。

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