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第四章 もう一人の女--恐るべき錯誤(2)
日期:2023-12-21 14:16  点击:298

 その夜ひと晩、私はあまりの恐ろしさに懊おう悩のうしつくし、輾てん転てん反はん側

そくして、一睡もすることができなかった。私はいまにも障子があいて、その人物がギラ

ギラするようなダンビラをさげて、躍りこんでくるのではあるまいかと、風の音にも、ひ

やりと胆きもをひやしたことであった。ああ、話にきく安あ達だちヶが原はらの黒塚の、

ひとつ家に宿を求めた旅人とても、その夜の私ほど、深刻な悲痛を味わいはしなかったで

あろう。

 しかし、幸い、その夜は何事もなく明けた。私は東が白むのを待って、やっと安心して

とろとろまどろんだが、眼がさめるともう正午ちかかった。

「どうしたんだい。いやに寝坊をしたじゃないか。昨夜、よく眠れなかったと見えるな。

意気地のないやつだ。あっはっは!」

 洗面所へいくと、いきなり直記からそう浴びせかけられたが、そういう直記自身、いま

起きたばかりと見えて、歯をみがいているところだった。かれもまた、昨夜よく眠れな

かったと見えて血走った眼をギラギラさせている。私はしかし、その顔を正視するのが恐

ろしかった。

「うん、あんまり恐ろしいことがつづくものだから、ぼくも少し頭が変になった。直記、

君はよく眠れたかい」

「よく眠ったか眠れなかったか、このツラを見たらわかるだろう。意気地のないのはお互

いさまだ。おれゃアもう、誰も信用出来なくなったよ」

 直記はそういって、ギラギラと血走った眼で私を視み詰つめていたが、やがて声を落と

すと、

「おい、寅とらさん、今朝またひとり、新しいお客さんがやって来たそうだぜ」

「新しいお客さん?」

「うん、磯いそ川かわ警部といって、県でも古ふる狸だぬきの有名な腕うで利ききだそう

だ。事件があまり大きくなったので、田舎いなかの警察では手に負えぬと見て、県の警察

本部から出張して来たらしい。やれやれ、これでまた今日も一日、質問攻めだぜ。やりき

れねえよ、まったく」

 直記は口中を歯磨き粉だらけにしながら、相変わらず毒々しい口の利きかただが、なん

となくその調子には元気がなく、気のせいか語尾がふるえているように思われた。

「そりゃア、そうだろう、これだけの大事件だから、地方警察だけじゃアね。しかし県か

らそんな腕利きがやって来たとすると、金田一耕助という男は、どうなるのだろう」

「金田一耕助……? あっはっは、あの吃どもり探偵かい。なアにあいつはこれで御払い

箱よ。きまってらアな。古狸ともいわれるほどの腕利き警部が、あんな貧弱な吃り男を相

手にするものか」

 直記は小気味よげにせせら笑ったが、驚いたことに、直記のその予想は、まんまと外れ

ていたのである。私たちはそれから間もなく、朝飯とも昼飯ともつかぬ食事をすませた

が、そこへお藤が顔を出して、母おも屋やのほうへちょっと来て下さるようにとの、金田

一耕助の口上をつたえた。

 私たちは来たなと顔を見合わせたが、いなむべき筋合いではないので、直記といっしょ

に出向いてみると、なんと驚いたことに、ひと眼で警部としれる男が、金田一耕助といか

にも親しげに話をしているところであった。警部の金田一耕助に対する態度には、親しさ

を通り越して、一種畏い敬けいの念さえほの見えるようであった。

 直記と私は眼をみはって、思わず顔を見合わせたことである。

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