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第十章 浴槽の貴族 一(3)
日期:2023-12-26 16:08  点击:277

 玄関のロビーを左へ走ると、まっかな絨じゆう毯たんをしきつめたひろい大理石の階段

があり、その階段をあがって廊下をまっすぐに走ると、T字型になった廊下の横の棒に突

き当たり、その廊下を左へまがったところにヒヤシンスの間のドアがあるが、開け放った

ドアの外に警官がひとり立っていた。金田一耕助の姿をみると無言のまま道をゆずった

が、その警官の緊張した面持ちからしても、その部屋のなかで容易ならぬ事態が、持ちあ

がっているのであろうことが想像された。

 ドアを入るとそこは隣のダリヤの間と、まったく左右相称になっており、十二畳ばかり

の居間の右側に広い壁付き暖炉があり、大理石のマントルピースがついているのも、隣の

ダリヤの間とそっくりおなじである。しかし、そこにはだれも人影はみえず、左のほうか

らシャワーのほとばしる音がきこえ、その音にまじって押し殺したような人の話し声が断

続していた。

 その居間の左側が寝室になっていることも、ダリヤの間と左右相称になっているが、そ

こに大きなダブル・ベッドがゆたかな面積をしめている。そのベッドの横に、いまちょこ

なんと腰をおろしているのはお糸さんである。八十になんなんとするお糸さんの身長で

は、脚が床までとどかないのである。白しろ足た袋びにつっかけたスリッパが宙にブラン

と浮いていた。

 ベッドの頭のほうに、電気スタンドをおいた書き物机があり、その書き物机と対ついを

なす回転椅子は、いまこちらをむいているが、そこには倭文子が腰をおろして、両手をか

たく膝のうえで握りしめている。

 倭文子はけさも和服だが、着物はきのうと違っていた。渋い大島に臙脂色の帯がよく似

合って、膝のうえで結んだ両手の左の薬指の、ダイヤの大きさが眼をひいた。倭文子は上

体をシャンと起こして、顔は正面切っているが、相変わらず能面のようなその顔からは、

なんの表情もうかがえない。心なしか皮膚がケバ立っているようだ。

 ベッドの裾の窓のそばに篠崎慎吾が立っていた。慎吾は妻に背をむけて、窓越しに富士

山を見ているが、ほんとにかれは富士山を見ているのだろうか。ガッチリとした肩の線が

なんとなく憔悴してみえ、むぞうさに結んだ兵へ児こ帯おびの結び目が、大きなお尻のう

えにだらんと垂れているのが、この際こっけいでしおたれている。

 金田一耕助がその寝室へはいっていったとき、三人はこうして奇妙な三角形をえがいて

いたが、かれの姿を見たせつな、三人三様の表情がはげしく動いた。

「金田一先生……」

 と、あえぐようにいったきり、絶句してしまった慎吾の眼はギラギラと血走って無気味

にみえた。倭文子はかるく会釈したきり、ただまじまじと金田一耕助のモジャモジャ頭を

凝視している。能面のような冷たさがなければ、それはこの際、あどけなくさえみえたか

もしれない。いちばん大げさだったのはお糸さんである。ピョコンとベッドからとびおり

ると、

「あれまあ、金田一先生、よく間におうてくださいましたなあ」

「なにかまた……? 天坊さんがどうかなすったんですか」

「はい、それがなあ……」

 と、いいながら、お糸さんは締め切った、バス・ルームのすりガラスのドアへ歩みよっ

た。バス・ルームのなかからは、あいかわらず激しくほとばしるシャワーの音がしてい

る。

 お糸さんはそのドアをたたきながら、

「あの、もし、警察のおひとさんえ。金田一先生がもどっておいでなさいましたぞな」

 中からドアを開いた井川老刑事はにこりともせず、黙って体をひらいて金田一耕助をな

かへとおした。ドアの中は脱衣場になっており、正面に大きく深い洗面台が取りつけてあ

る。しかし、問題は脱衣場ではなく、右側のドアの奥の浴室らしかった。

 浴室は三畳敷きくらい。エナメル塗りの大きな楕円形の浴槽のそばに、田原警部補が

立っており、書部補の縁無し眼鏡をかけた眼は、眼まじろぎもせず浴槽のなかに注がれて

いる。金田一耕助のほうへチラッと光ったその眼鏡は、すぐ浴槽のなかへ視線をかえし

た。

「金田一先生、篠崎氏の要請でこの場はまだなにひとつ手をつけてありません。いまに鑑

識の連中や医者が駆けつけてきます。そのまえにこの場の様子を、とっくり見ておいてく

ださい」

 浴槽のなかには満々と湯が張られている。その湯はうすく緑色を呈していて、芳香をは

なっているように思われた。その湯の底に足の爪つま先さきを浴槽のふちにあげるように

して、侏儒の天坊邦武がしずんでいた。仰向けに寝そべったこの旧貴族の裸身はひどく無

格好にみえる。腹だけがいやに出ばっていて、手脚が不釣り合いなほど貧弱なのは栄養失

調児のようである。両眼はかっと見開いて天井をにらんでいるが、かつて威厳をほこって

いたあの八はち字じ髭ひげが、みるも無残にしおたれていて、残り少なになったビリケン

あたまの頭髪が、モシャモシャと湯の底でゆれているのとともに、いかにも虚勢の仮面を

はぎおとされた、敗残の老貴族の成れの果てらしくみじめであった。

 タイル張りの壁のいっぽうから、シャワーが滝のような音を立ててほとばしっている。

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