「いやね、この密室のトリックの種明かしをするまえに、もうひとつ種明かしをしてお眼
にかけたいものがあるんです。どうぞこちらへ」
金田一耕助はふたりを案内して、隣の寝室を抜けるとバス・ルームへはいっていった。
バス・ルームの棚のうえには、あのバス・クリニックの鑵がのっかっている。
「主任さん、あの鑵の表面から指紋は……?」
「はあ、お糸さんと天坊さんの指紋が出たそうですが」
「ほかには……?」
「いや、指紋はそれだけだったんですが、それがなにか……?」
「しかも、この部屋には事件が発見されて以来、ああしてお巡りさんが立っていて、だれ
も入ってこれなかったんですね」
「金田一先生、それがどうしたというんですい」
「井川さん、あなたこれを妙だとは思いませんか」
金田一耕助が指さした浴槽のなかには、けさがた天坊さんの漬かっていた湯が、そのま
ま湛たたえられている。湯はもちろん冷えきっているが、それは淡い緑色をていしてい
る。
「お糸さんはなんといってました。彼女がドアのところでバス・クリニックを渡したと
き、天坊さんはいかにも気のない態度で、むしろ迷惑そうだったといってたじゃありませ
んか。それにもかかわらず天坊さんはバス・クリニックを使っている。それはどういうわ
けでしょう」
「金田一先生、それはどういうわけ……?」
「天坊さんはどうしても、それを使わねばならぬ必要に迫られたからじゃないんですか」
「その必要とは……?」
「いや、ちょっと待ってください、その説明は。いっぽう、井川さん」
「はあ」
「われわれは犯人が天坊さんの持ち物を、ひっかきまわしていったことを知っている。し
かも、それは上着のポケットへはいるような、小さなものだったということも知ってい
る。われわれはそれが紛失した天坊さんのガウンのバンドに、縫いこめられているのでは
ないかと思っていたが、実際はそうではなかったことがわかりましたね。すると……」
「金田一先生! そ、それじゃ犯人の捜していたものがその鑵のなかに……」
井川刑事の声は驚きにみちていたが、さすがに外部へもれるほど大きくはなかった。
「天坊さんはなんらかの理由で危険を察知していられた。なにかを隠したいと思っていら
れた。そこへお糸さんがその鑵を持ってきた。ふしょうぶしょうに受け取ったあとで、こ
れこそ究竟の隠し場所だと気がついた。そこでこのバス・ルームへやってきて、問題のし
ろものを鑵のなかの粉末の奥深く押しこんだ。そのとき粉末がこぼれたので、それをカモ
フラージするために、バス・クリニックを使わざるをえなかった……」
老刑事はそのときすでに、赤色の鑵にとびついていた。刑事はそれをバス・タンクのう
えにもってきて、指を粉末のなかへ突っ込んだ。粉末がバラバラとタンクの湯のなかへこ
ぼれ落ちたが、つぎの瞬間、
「あった!」
と、ひくく叫んで親指と人差し指でつまみ出したのは、粉末にまみれた小さなニッケル
の鑵である。それは注射をするときアルコールに浸した綿をつめておく容器のようであ
る。開くとはたしてアルコール綿がつまっていた。そのアルコール綿をつまみ出すとその
したから、パラフィン紙につつんだものが現れた。
そのパラフィン紙をひらくとき、粉末にまみれた井川刑事の指がいちじるしくふるえて
いたのは、それだけ興奮している証拠だろう。
パラフィン紙のなかから出てきたのは三枚のネガ・フィルムである。それがネガである
うえにあまりにも小さかったので、透かしてみても映像のぬしがだれであるかはわからな
かった。しかし、三枚とも男と女のふたりであることが想像された。
田原警部補も井川刑事も感動のためひどくふるえているようである。