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10 史強シー·チアン
日期:2024-06-28 11:29  点击:251
 10 史強シー·チアン
 史強はとなりにどっかと腰を下ろすと、汪淼ワン?ミャオの車のキーをさしだした。
「東単 北京市内の繁華街 の交差点に駐めただろ。おれが来るのが一分遅かったら、交通警察にレッカー移動されるところだったぜ」
大史ダーシー、きみがずっと尾行していると知っていたら、もっと気が楽だったのに──汪淼は心の中で言ったが、プライドが邪魔をして口には出せなかった。史強から煙草を一本もらって火を点ける。もう何年も禁煙していたので、ひさしぶりの喫煙だった。
「で、調子はどうだい、先生 思ったよりきつかったか あんたには無理だって、おれは言っただろ。なのに自分ではタフガイを気どってたじゃないか」「きみにわかるもんか」汪淼はすぱすぱと勢いよく煙草を吸い込んだ。
「あんたの問題は、わかりすぎることだな。……まあいい、飯でも食いにいこうぜ」「腹は減ってない」
「じゃあ酒だ、おごるぜ」
 汪淼は史強の車に乗った。連れていかれたのは、沙灘近くにある小さなレストランだった。まだ朝も早く、店内にはだれもいない。
「爆肚 牛や羊の内臓を使った北京料理 を二斤 一斤は約六百グラム 、二鍋頭 北京の白酒。アルコール度数は五十六度 を一本くれ」史強が顔も上げずに叫ぶ。ずいぶんなじみの店らしい。
 ふたつの大皿に載ったものを見るなり、汪淼の空っぽだった胃がむかむかして吐きそうになった。だが史強は、さらに汪淼のために豆乳と揚げパンを差し出し、無理やり食べさせようとした。
 それから汪淼は、史強とともに、一杯また一杯と杯を重ねた。ふわふわした感覚になり、だいぶ生き返ったような心地がしてきた。そして、この三日間にあった出来事を、洗いざらい史強に話した。史強はたぶん、そのすべてを知っていた──それどころか、明らかに汪淼よりも多くを知っていた。
「先生、それじゃ、宇宙があんたに……ウインクしてきたっていうのかい」史強は麺を食べるかのように爆肚を半分ほど飲み込むと、顔を上げてたずねた。
「そのたとえは的を射ているな」
「うるせえ」
「きみの無鉄砲は、無知の裏返しだろう」
「余計なお世話だ。さあ飲め、乾杯だ」
 汪淼がそれを飲み干すと、世界が自分のまわりをぐるぐると不安定に回っている気がしてきた。ただ、目の前で爆肚を食べている史強だけがおそろしく安定している。汪淼は言った。
「大史、きみは──究極の哲学的な問題について考えたことはあるか うーん、たとえば、人類はどこから来てどこへ行くのかとか、宇宙はどこから生まれてどこへ向かうのかとか」
「ないね」
「一度も」
「まるっきり」
「星を眺めてみろ。畏敬の念や好奇心が湧かないか」「夜空なんか見ねえよ」
「まさか。夜勤はしょっちゅうあるだろうに」
「なあ、先生。張り込みをしてる最中に夜空を見上げたりしたら、その隙に容疑者に逃げられるかもしれないだろ」
「話にならんな。飲めよ」
「正直な話、夜空の星を眺めたところで、あんたの言う哲学的な問題なんか考えないよ。
心配ごとが多すぎてな 家のローンとか、子どもを大学までやる学費の貯えとか、次から次へとはてしなくまわってくる事件とか。……おれは単純な性格で、上司のご機嫌とりだの、人間関係だのの手練手管はさっぱりだ。除隊して警察に入ってから何年も経つが、昇進には縁がない。これで仕事ができなきゃ、とっくに放り出されてる。……心配ごとはこれでじゅうぶんだと思わないか 星を見上げて哲学にふける余裕があると思うか」「たしかにな。さあ飲もう」
「でもな、おれは究極の法則をひとつ発見したぜ」「なんだい」
「不可思議な出来事にはかならず裏がある」
「なんだって そりゃまた、ひどい法則だな」
「つまり、科学で説明がつかないように見える出来事の背後には、かならずだれか黒幕がいるってことだ」
「最低限の科学的知識があれば、今回の出来事を人為的に引き起こすのは不可能だとわかるはずだ。とくに、夜中のあれ。宇宙的なスケールでものごとを操るなんて──現代科学で説明できないのはもちろん、科学を捨ててもどう説明できるのかさっぱりわからん。超常現象を超えている。超ウルトラなんとか現象だ」
「くだらねえ。不思議なことなら、山ほど見てきたよ」「じゃあ、次はどうしたらいいか教えてくれ」
「飲んで飲んで飲み倒して、寝る」
「よし、いいだろう」
 どうやって自分の車に戻ったのか、記憶がない。後部座席で夢も見ずに熟睡していた。
そう長く寝たつもりはなかったが、目を開けると、太陽がすでに都会の西の空に沈みかけていた。
 汪淼は車の外に出た。朝飲んだ酒は、まだ体に残っているものの、だいぶ気分がいい。
車は、紫禁城の角のすぐ前に駐まっていた。歴史ある皇宮を夕陽が照らし、護城河の水面をまばゆい金色に輝かせている。目に映る世界は、ふたたび歴史と安定をとり戻していた。
 汪淼はひさしぶりの安らぎを味わいながら、そこに佇んでいた。日が暮れたころ、一台の車が大通りを流れる列を抜け出し、こちらに直進してくると、目の前でブレーキをかけて停車した。すっかりおなじみになった、黒のフォルクスワーゲン?サンタナだった。ドアが開き、史強が降りてきた。
「よく寝られたか」と低い声でたずねる。
「ああ。次は」
「だれが 先生か 晩飯を食いにいって、またもうちょっと飲んで、それからまたまた寝る」
「そのあとは」
「そのあと あしたは仕事だろ」
「だが、カウントダウンは……あと一〇九一時間に減ってる」「カウントダウンなんざ放っとけ。いまのあんたは、まず二本の足でしっかり立って、倒れないことがだいじだ。他のことはそれからだ」
「大史、ほんとうはなにが起きているのか教えてくれ。頭を下げてお願いするよ」 史強はしばし汪淼を見つめ、それから空を見上げて笑った。「まったく同じことを、おれも常チャン少将に何回か言ったよ。おれたちは同じ船に乗ってる。正直に言う。おれはなんにも知らねえ。階級が低すぎて、なんにも教えてもらえないんだ。ときどき、これは悪夢なんじゃないかと思うくらいだ」
「だが、きっときみは、わたしより多くを知っている」「いいだろう。じゃあいまから、おれが知ってることをぜんぶ教えてやる」史強が護城河の河沿いを指さし、ふたりは場所を見つけて腰を下ろした。
 空はもう真っ暗になり、背後を川のように流れてゆく車のヘッドライトに照らされて、川面に落ちる自分たちの影が、長くなったり短くなったりしている。
「おれの仕事では、一見、関係なさそうなたくさんの出来事をひとつにつなぎあわせることが肝心なんだ。ばらばらのピースが正しく合わさったら、真相が見えてくる。その考えかたで言うと、しばらく前から、妙なことが次々に起きている。
 たとえば、理系の大学関係者や科学研究団体に対する犯罪が過去に例がないほど急増していること。あんたも当然知ってるだろうが、良湘の粒子加速器建設現場で起きた爆発事件や、ノーベル物理学賞を受賞した科学者が殺された事件……どれもこれも、ふつうじゃない。犯人の動機がおかしいんだ。金のためでもない、報復でもない。政治的な背景もない。たんに壊したかった、殺したかった、それだけだ。
 犯罪とは関係ない、妙な出来事もある。たとえば〈科学フロンティア〉とか、科学者連中の連続自殺とか。環境保護団体の活動もずいぶん過激になってる。水力発電ダムや原子力発電所の建設を阻止するための現地抗議集会とか、自然に回帰する実験社会とか……。
ほかにも、一見、たいしたことには思えないが……あんた、映画は見るほうか」「いや、あんまり」
「最近の大作映画は、どれもこれも田舎をテーマにしている。いつの時代か知らないが、緑豊かな山のふもとの、水がきれいな場所で、美男美女が自然と調和したしあわせな生活を送ってるんだ。男は畑を耕し、女は機織り。監督の話だと、科学技術に毒される以前の理想の生活を表現してるらしいけどな。たとえば『桃花園』なんて、だれも見たがらないような退屈な映画なのに、だれかが数億元も出して製作したらしい。それから、小説の公募新人賞は、大賞賞金が五百万元。いちばんぞっとする未来を描いたやつが賞金を獲得するらしい。しかも、受賞作は何億元もかけて映画化されるんだとさ……。それと、妙ちきりんなカルトがあっちこっちで信者を集めてる。教祖はみんな、たんまり金を持ってるらしい……」
「いまの話は、その前に言ってたほかの事件とどんな関係があるんだ」「ひとつひとつの点を、線でつないでみなきゃいけない。もちろん、昔のおれなら、いちいちこんなことを気にかけているヒマなんかなかったが、特捜班から対テロ作戦司令センターに異動したあとは、まさにこれがおれの領分になった。点と点をつなぐ才能に関しちゃ、常偉思少将さえ感心してるくらいだからな」「で、きみの結論は」
「いま起きているこういうことすべてには、陰で糸を引いている黒幕がいる。目的はひとつ。科学研究を壊滅させることだ」
「その黒幕はだれなんだ」
「さっぱりわからん。しかし、おそろしく広範囲にわたる、綿密な計画の存在を感じる。
科学研究施設に損害を与える、科学者を殺害する、もしくは精神的に追いつめて自殺させる──だが、いちばんの目的は、あんたたち科学者の思考をミスリードして、門外漢の素人よりもっと莫迦な人間に変えてしまうことだな」
「最後のひとことはじつに鋭いね」
「それと同時に、科学の評判を地に落としたいらしい。もちろん、反科学のキャンペーンを張る人間は昔からいるが、いまはそれが組織されている」「信じるよ」
「やっと信じてくれるってわけか。あんたたちエリート科学者が総出でかかってもたどりつかなかった答えに、職業訓練校しか出てないおれがひとりでたどりついたんだぜ。
はっ この仮説を話したら、学者やうちのボスには莫迦にされたけどな」「あの会議のときにその仮説を聞いていたら、わたしはきっと笑わなかったよ。ニセ科学を実践しているあの詐欺師たちのことを考えてみればいい──連中がいちばん恐れる相手はだれだと思う」
「科学者だろ、もちろん」
「いや、違う。ニセ科学に騙されて、しまいにはちょうちん持ちまでやる一流科学者はおおぜいいる。ニセ科学がいちばん恐れるのは、騙すのがものすごくむずかしいタイプの人間──マジシャンだよ。じっさい、ニセ科学のインチキの多くが、マジシャンにトリックを暴かれてきた。頭でっかちの科学者より、きみの長年にわたる警察官としての経験のほうが、こういう大規模な陰謀に感づく可能性ははるかに高い」「まあ、おれより利口な人間はたくさんいるよ。権力を握っている上のほうの人間は、この陰謀にとっくに気づいている。最初、莫迦にされたのは、おれが仮説を説明する相手をまちがえていたからだ。あとになって、軍隊時代の元中隊長が──常偉思チャン?ウェイスー少将が──おれを作戦司令センターにひっぱった。しかし、いまはまだ、使い走りしかやってない。以上。知っていることはこれでぜんぶだ」「もうひとつ質問がある。この件は軍とどんな関係がある」「おれも面食らったよ。向こうに訊いてみたが、戦争なんだから軍が関与するのは当然だと言うだけだ。あんたと同じように、おれもはじめはやつらの話がナンセンスだと思ってた。だが、違う。やつらは本気だ。軍はいま、厳戒態勢にある。おれが所属しているような作戦司令センターは、世界中に二十数カ所ある。その上にもうひとつべつの組織があるらしいが、くわしいことはだれも知らない」
「どこが敵なんだ」
「さあな。軍の将校はいま、中国人民解放軍総参謀部の作戦室に駐在している。ペンタゴンに拠点を置く解放軍将校の一団もいる。だれと戦ってるかなんてわかるもんか」「妙な話だな。ほんとうなのか」
「解放軍時代の仲間に軍で偉くなってるやつが何人もいるから、多少は耳に入ってくるんだよ」
「メディアはこの件をなにひとつ嗅ぎつけてないのか」「それも納得いかない話のひとつだ。関係各国すべてがこの件については厳重に秘密を守ってて、いままでのところ外に洩れていない。これだけは保証するが、問題の敵は、信じられないほど強いんだろ。上の連中が怯えてるんだからな 常偉思少将のことはよく知ってるが、恐れを知らない人間だ。空が落ちてこようが動じない。その彼が、いまはもっと悪いことを心配しているのはまちがいない。みんな死ぬほど怖がってて、こっちが勝てるとは思ってない」
「それがほんとうなら、みんな怖がるべきだな」
「だが、だれにだって怖いものはある。問題の敵だってそうだ。強ければ強いほど、恐怖に負けて失うものが大きくなる」
「敵はなにを恐れているんだと思う」
「あんたたちだよ 科学者だ しかも、おかしなことに、研究が実用性から遠のけば遠のくほど恐れられているみたいだ。楊冬ヤン?ドンが研究していたような抽象理論とか。敵は、あんたが宇宙のウインクを怖がる以上に、そういう研究を怖がってる。だからこんなに容赦ないやりかたをしてるんだよ。あんたらを殺すことが問題の解決になるなら、全員とっくに殺されてる。しかし、いちばん有効な方法は、思想をくじくことなんだ。ひとりの科学者が死んでも、べつの科学者が研究を引き継ぐ。しかし、考えをめちゃくちゃにされたら、科学はおしまいだ」
「つまり、敵が恐れてるのは基礎科学だと」
「ああ、基礎科学だ」
「わたしの研究は、楊冬のとはまるで性質が違う。ナノマテリアルは基礎科学じゃない、たんなる高強度材料の一種だ。敵にとってどうして脅威になる」「あんたは特例だ。敵はふつう、応用研究をやってる人間には手を出さない。ひょっとすると、あんたが開発している素材が向こうにとって脅威なのかもしれない」「じゃあ、どうしたらいい」
「仕事に行け。研究をつづけろ。それがいちばんの反撃方法だ。ろくでもないカウントダウンなんか気にするな。仕事のあとちょっとリラックスしたけりゃ、あのゲームでまた遊べばいい。クリアできれば、役に立つかもしれん」「あのゲーム 『三体』のことか なにか関係があるのか」「あるとも。作戦司令センターの専門家も何人かプレイしている。あれはふつうのゲームじゃない。おれみたいな無知で無鉄砲なやつは遊べない。あんたみたいに知識のある人間でないと無理だ」
「そうか──ほかにはないのか」
「ないね。ときどきあんたを呼び出すから、携帯の電源は切るなよ、相棒。理性を失うな。怖くなったら、おれの究極の法則を思い出せ」 汪淼が礼を言う間もなく、史強は車で走り去った。
 
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