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蟻あり 五
日期:2024-07-31 23:15  点击:306
 しかし、前に述べた全ては「虫の世界のロマンス」の序文にしか過ぎない。
 ──この驚くべき文明に関する最大に驚愕する発見は、性の抑制である。確かに蟻の生活の進歩した形態では、個体の大多数において性行為は完全に消失する──より高位の蟻社会ほぼ全域において性生活は、種の継続のために必要不可欠な範囲に限って存在が現れる。
しかし、生物学的事実は、それ自体が提示する倫理的暗示に比べたら、それほど大したことではない──この事実上の抑制や、性的能力の規制は自主的に出現しているからだ。少なくともその種に関する限り自主的である。現在信じらているのは、その素晴らしい生き物達は、発展か若い性の発展の阻害の仕方を学んだというのだ──幾つかの栄養学的方法からである。本能のうちで最も力強く制御不能と一般に思われている物を、完璧な管理下に置くことに成功したのだ。かつこの厳格な禁欲生活への必要な制限の範囲で絶滅に対する備えは、種の多くの重要な経済的効果の内のたったひとつ(ではあるが最も驚くべきもの)である。自分本意の喜びのためのあらゆる能力──「自分本意」の言葉は普通の意味で──は、生理的な改変を通して等しく抑制される。自然な欲望に耽る行為は、直接的か間接的にでもそのような耽溺が、種の利益になる場合でなければ全くできない──必要不可欠な食事や睡眠でさえ、健全な活動を維持するため正確に必要な程度に限定して満足している。
個々は務めと考えが公共のためになる場合のみ生存でき、共同体は愛か飢餓による支配の受け入れを、宇宙の法則が許す限り、勝ち誇るかのようにどちらも拒絶する。
 我々の大部分は、何種類かの宗教的な教義──将来の褒美への希望や将来の罰への恐れ──無しでは文明は存在し得ないという信念の元に育てられた。我々が考えるよう教わってきたのは、道徳思想に基づく法律の不在や、そういった法律を執行するのに有効な警察が無い状態では、全ての他人の損害に対し、ほとんど全ての人は、彼や彼女の個人的な利益だけを求めるであろう。強者はそれから弱者を滅ぼし、哀れみと同情は消え去り、社会構造全体が粉々になって落ちていくであろう……この教えは、人間の本質は不完全な存在だという、明白な真実を抱えていると白状する。しかし、この真実を最初に宣言した何千年も前の人達は、利己的行動が生まれつき不可能になる社会の存在形式を全く想定していなかった。それは積極的な善行の喜びが義務の思想を不要にする社会は存在できると、疑いようの無い証拠を伴って無宗教な自然が我々への提供を残した──天性の道徳が全ての倫理的規則を不要にできる社会──全員が完全に利他的に生まれ、精力的に優秀な社会、それは最年少の者にさえ道徳の鍛練が時間を浪費せず過不足無くできることを意味する。
 進化論者にこういった真実が必然的に暗示するのは、我々の道徳的理想主義の価値が一時的なものでしかなく、美徳よりも、優しさよりも、自制よりも──この表現で現在の人間が意味付ける──良い何かは、確実な条件の元では、いずれそれに取って換わるのかもしれないこと。道徳の概念の無い世界は、そうした概念によって行為が規制された世界より道徳的に良くないのだろうか、という疑問に直面せざるを得ないと気が付く。さらに我々自身を取り巻く宗教的な戒律と道徳規定と倫理基準が、我々はまだ社会的進化の非常に原始的な段階にあるのではないと証明するのかと自問するはずである。そしてこの疑問は自然に別の方へと向かう、この惑星上で、その理想の全ての彼方の倫理的状態へ到達するために人類は常に有能だろうか──現在悪と呼ぶことごとくが存在から衰退していき、美徳と呼ぶことごとくが本能へと変換していく状態における──倫理の概念と規定がそれと同じように不要となっているであろう利他主義の状態は、おそらく現在でさえ、より高度な蟻の社会に存在する。
 近代思想の巨人達はこの疑問に幾つかの解答を提示し、中でも最も偉大な者がこれに答えた──部分的な肯定ではあるが。人類は倫理的に蟻のそれに匹敵する文明の幾つかの状態へ到達するであろうとハーバート?スペンサー氏は確信を明言する──「もしも生物の下層階級の中で、利他的活動が自分本意の活動のひとつとなるように、自然が体質的に大きく修正した場合、対応する条件の元で一致の確認が人類の間で生じるだろうという避けられない意味を含む。社会的な虫は最先端の実例を我々に提供する──そして実例を見せる、実際それは個体の生活が驚くべきほど、別の個体達の生活へ役立つことに没頭しているようである……蟻や蜂のどちらも、その言葉に与える意味において、義務の感覚を持つとは想像できず、自己犠牲の継続的な経験も、通常の言葉の意味としては想像できない……〔真実〕は、活発で更に活発な利他的目的の遂行が、同時にそのまま別の場合では、利己的な目的の遂行に見える自然現象を生じるが、それは組織化の可能性の内にあると見せる──そうした場合は、利他的な目的が利己的という別の顔をした目的の追求から遂行されて見える。組織体の要求を満たすため、他者の福祉に貢献するこの活動は継続されるはずである……
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「これまで、それが真実であるから未来の全てを通して継続するはずとされた、利己心が他者への配慮を断続的に服従させる状態、これに反して、他者への配慮が最終的に非常に大きな喜びの元となる状況から、その喜びが直接的な自分本意の満足によって広範囲に広がると推論できる……やがては、さらに利己主義と利他主義が大きく融和し、一方が他方に溶け込む状態がやって来るであろう。」
 
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09/20 07:24
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