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第二章 開かずの間(3)
日期:2024-07-31 23:41  点击:230
 智子はすばやく、部屋のなかを見まわした。別にかわったことはなさそうだった。ここもこってりとした彫刻と、けばけばしい色彩で飾られた調度類で埋められている。ただ、ここは寝室になっていたらしく、むこうの壁ぎわに大きな寝台がある。部屋の中央には大きな卓、その卓のそばに向かいあって椅い子すが二脚、隅のほうに長い寝椅子のような榻とうが一台、むろん、全部唐風のものである。入り口はいま智子が立っている、観音開きの扉よりほかにはない。窓には全部、こまかい唐草模様の鉄格子がはまっている。
 この部屋はこれからお話するこの物語に、非常に重大な意味をもっているので、いずれのちに、もっと詳しくお話しするが、ここではそのとき、智子の眼に入ったものだけを書いておこう。
 榻のうえに編み物籠かごと、編みかけの編み物が、編み棒をとおしたまま投げ出してある。
「あら、それじゃ先生、昔、ここで編み物をしていらしたのね……」 智子はほほえましい気持ちになり、それでいくらか気が楽になったので、部屋へ入り、大きな卓子テーブルのそばへちかよった。卓子のうえには月琴がひとつ投げ出してある。
むろん、なにもかも、厚い埃ほこりの層におおわれて、五月の温度にあたためられた、しめきった部屋の空気は息苦しいくらい。
 智子はしばらくあたりを見まわしていたが、やがて何気なく棹さおをにぎって月琴をとりあげたが、そのとたん、「あら!」 狼ろう狽ばいしたような声が智子の唇をついて出た。絃がはってあるので、つながってはいたけれど、月琴は棹の根元でポッキリ折れて、持ちあげると、ぐらりと胴がかたむいた。智子はびっくりして、それを下へおこうとしたが、そのとたん、胴がくるりと裏向きになって、そこに大きな裂け目があり、しかも、まっくろな汚し点みがしみついているのが眼についた。
「まあ!」 智子は息をのみ、月琴をしたにおくと、もういちど卓子のうえを見まわした。そこには、唐美人が胡こ弓きゆうをひいている図を織り出した、唐風の織物が、テーブル?センターみたいにおいてあったが、その織物のうえにも、くろい、おびただしい汚点が、雲のようにしみついている。
「まあ、なんの汚点かしら……」 智子はとほうにくれたような顔をして、月琴と織物をながめていたが、そのうちに、ある恐ろしい考えが稲妻のようにさっと頭にひらめいた。
 血!…… そのとたん、祖母や、母や、秀子の顔が、走馬燈のように彼女の頭のなかを走りすぎた。この部屋のことをきくたびに、恐怖におののいていた三人の顔が…… 智子は全身の血が、氷のように冷えていくのをおぼえる。彼女は大急ぎで月琴をもとどおりおきなおし、よろめくように部屋を出たが、そのとき遠くのほうで、彼女を呼ぶ声がきこえた。智子は手早く錠をおろし、鍵かぎを胸にしまうと、帳とばりをもとどおりしめて、あしばやに声のするほうへ急ぐ。
「ああ、お嬢さま、こちらにおいででございましたの。御隠居さまや、神尾先生がお呼びでございます」 別館の入り口のところでバッタリ女中の静しずに出あった。
「ああ、そう、何か御用……」 智子は顔色を見られぬように、わざと珍しそうに扉の彫刻に眼をやっている。心臓がまだ早はや鐘がねをつくようにおどっている。
「あの、お迎えのかたがいらしたのですよ、東京から……」「ああ、そう、どんなかた」「それがとてもかわったお方でございまして……行者様のように、髪を長くおのばしになって……」 智子はドキッとしたように、静のほうへふりかえった。
「それから、もうおひとかた。……とてもかわったお名前のかたでございます」「かわったお名前って……?」「キンダイチ……ええ、そう、金田一耕助様ってお方でございます」覆面の依頼人 金田一耕助はいま戸惑いしている。
 かれはまだこのロマンチックな伝説の島において、どのような役割を演ずべきか、十分に納得がいっていないのである。なぜじぶんがこの島に必要なのか、なぜこの奇妙な迎えの使者に、じぶんが必要なのか、その点についても、まだよくわかっていなかった。
 それはちょっと妙な話であった。
 二週間ほどまえのことである。二つ三つたてつづけに、厄介な事件をかたづけたかれは、しばらく休養をとろうと思っていた。久しぶりに温泉へでもいって、ゆっくり静養するつもりだった。ところがそこへ舞いこんだのが、丸ビル四階にァ≌ィスをもっている加納法律事務所からの書面である。
 用件は是非とも貴下を煩わずらわしたい件があるから、至急、当事務所まで御足労願えまいかというのである。本文はタイプでうった杓しやく子し定じよう規ぎのものだったが、差し出し人のところには、加納辰五郎と達筆の署名があった。
 金田一耕助はちょっと迷った。依頼に応ずれば休養がフイになるかも知れない。それはたしかに辛つらかった。じっさいかれは疲れていたのだ。しかし一方、加納法律事務所という名前と、加納辰五郎の署名が、かれを誘惑したこともいなめなかった。
 加納法律事務所といえば、一流中の一流である。所長の加納辰五郎氏は、日本でも有数の民事弁護士である、ひきうけているのは、一流の大会社や大商店の事件ばかり、個人的にもつぶよりの、一流人物ばかりであることを、金田一耕助も知っている。しかもここには、所長みずからの署名がある。金田一耕助が食指を動かしたのもむりはない。
 休養と誘惑、──心中しばらくたたかったのち、結局、誘惑にまけた。電話をかけておいて一時間のちには、丸ビル四階にある加納法律事務所の一室で、かれは高名な民事弁護士とむかいあっていた。
「いや、御多忙中恐縮。御高名はかねがね承っていますが、こんどはぜひとも、お力添えを願いたいと思いましてな」 さすがに練達の士である。耕助の異様な風ふう采さいに動ずるふうもなく、適当の敬意をはらうことをわすれなかった。五十の坂はとっくの昔にこえているのだろう。血色のいい顔色と、雪のような白髪が、いちじるしい対照を示している。
 その昔、白はく頭とう宰さい相しようとうたわれた、人物を思わせるような風ふう貌ぼうである。
 そこで耕助が休養の希望をのべ、どこかの温泉で静養したいと思っているとつげると、加納弁護士はおだやかに眼め尻じりに皺しわをよせて、「それは好都合です。この件をおひきうけ下されば、あなたの御希望もしぜん、果たせることになると思いますよ」 それから弁護士はこういった。
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