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第二章 開かずの間(6)
日期:2024-07-31 23:42  点击:259
 加納弁護士はひどくそのことが気になるらしく、ぼんやりと考えこむのである。金田一耕助はなんとなく胸の騒ぐのをおぼえたが、しかし、まさかこの蝙蝠の一件こそ、あの恐ろしい事件の謎なぞをとく鍵かぎであったろうとは、そのとき夢にも気がつかなかったのである。
「ええと、それではこんどは大道寺氏、当時の速水青年ですね、あのひとのことについてお話ねがいましょうか」「ああ、そう、大道寺氏……」 加納弁護士は夢からさめたように、「あのひとはこの件について、大きな犠牲をはらいましたよ。もっともまた、それだけの代価はうけとったわけですが……いまもいったとおり、琴絵という婦人が妊娠していた。
その子の父は日下部青年です。このことは日下部青年も、覆面の依頼人に書きおくった手紙で、ハッキリ認めているんです。そこで子供の籍をなんとかせねばならぬ。私生児にするわけにはいかない。と、いうわけで覆面の依頼人にくどき落とされて、速水青年が琴絵
という婦人と結婚したんです。琴絵はひとり娘ですから、速水君が養子ということになりました。但し、この結婚は子供の籍をつくるのが目的ですから、ほんの名義上だけのことで、わたしはいまでも大道寺君と琴絵夫人とのあいだに、一度だって夫婦のかたらいがあったかどうか、疑わしいと思ってるんですよ」 金田一耕助は眼をまるくして相手の顔を見直した。
「そして、その琴絵というひとは?……」「死にました。うまれた子、それが智子さんなんですが、智子さんの五つの年に……」「しかし、それじゃそのあいだ大道寺氏は……」 加納弁護士はしぶい微笑をうかべて、「いや、大道寺君と琴絵夫人は、ほとんど同どう棲せいしたことがないんです。結婚当時、速水君はまだ学生だったし、学校を出るとすぐ就職するし、第一、東大の法科を一番で出たという男が、島へ逼ひつ塞そくするわけにゃいきませんや。ところが琴絵という婦人が、どうしても島を離れたがらない。だから夫婦といっても、ほんの名目だけのことだったが、それでも大道寺君はおりおり島へあいにいった。すると夫人が気の毒がって、じぶんの代わりに、蔦つた代よというわかい女中を、つまり、その、お伽とぎに出したんですね」「なるほど」「ところが大道寺君にはこの女中が気にいって、東京へつれてかえって同棲した。つまり細君公認のお妾めかけというわけですね。そのうちに蔦代という婦人が懐妊して、うまれたのが男の子、文彦というんですが、この子がまた、大道寺君と琴絵夫人の子として、籍に入っているんです。だから大道寺家にはいま、全然、血のつづいていない姉と弟、しかも、まだ一度もあったことのない二人が、真実の姉弟として籍に入っているわけなんです」「すると、いまでは蔦代という婦人が、大道寺氏の正妻になっているわけですか」「いや、ところがそうじゃないので、蔦代というひとがとても昔かたぎの女でしてね、じぶんのような身分の賤いやしいものが由緒ある大道寺家の籍に入るなんて、とんでもないことだと、どうしてもききいれないんだそうです。そして、げんざいじぶんがうんだ子を坊っちゃんと呼び、文彦君はじぶんの母を、蔦、蔦と呼びすてですよ」「すると大道寺氏はげんざい無妻ですか」「ええ、そう、琴絵夫人の死後ずっとそうです。むろん、蔦代という婦人以外、新しん橋ばしあたりで相当発展するそうですがね」「羽振りがいいと見えますね」「それはもう……五つ六つの会社の社長や重役をかねているでしょう。戦後派の実業家じゃ、まあ出色のほうです。それというのも、当人の腕も腕だが、後援者がよかったんですね。つまり覆面の依頼人というのが、智子さんのことがあるから、あらゆる後援をおしまなかったんです」「すると覆面の依頼人というひとは、よほど社会的に勢力のある人物なんですね」 金田一耕助はまたふっと、あやしい胸騒ぎをかんじたのであった。
 その日、金田一耕助は自宅へかえると、紳士録をくって大道寺欣造の項をしらべてみた。
 ◎大道寺欣造(旧姓速水) 明治四十三年三月十八日生 昭和八年東京帝国大学法学科卒業現在の役職 武ぶ相そう鉄道社長、伊豆相模土地専務、駿河パルプ専務、三信肥料専務、ホテル松しよう籟らい荘そう専務「なるほど、これじゃ羽振りがよいはずだ」 それから金田一耕助はペンをとって、つぎのように大道寺家の家系をかきぬいたのである。
  消えた蝙蝠こうもり 金田一耕助は酔うている。
 このロマンチックな伝説の島の、あやしくも美しい空気に酔うている。
 かれの陶酔は、昨日の夕方、船から棹さおの岬の絶壁を望んだときからはじまるのだが、そのとき岬の景観に、ひとしおの美を添えていた婦人を、さっき眼のあたり見るにおよんで、いよいよ魂の戦せん慄りつを禁じえなかった。
 ああ、あの美しさ。気高く、威厳にみちていながら、しかもなお、麝じや香こう猫ねこのように全身から発散する性的魅力。むろん、彼女自身はそれに気がついていない。気がついていないからなお恐ろしいのだ。危険なのだ。
 彼女は何気なく男を視みつめる。何気なく眉まゆをひそめ、何気なく微笑する。そして、無邪気に頰ほおをあからめて溜ため息をつく。だが、一いち顰びん一いつ笑しように魂のおののきを感じない男があろうか。無邪気な彼女の眼に見すえられ、血の沸騰をおぼえぬ男があるだろうか。しかも、彼女は何も知らないのである。
 美しい椿林をさまよいながら、金田一耕助は戦慄する。いくどもいくども戦慄する。かれはいま彼女を女王蜂にたとえた、あの警告状の文句を思い出しているのである。
 彼女のまえには多くの男の血が流されるだろう。……ああ、ひとめ彼女を見たものならば、その不吉な文句を否定しさることはできないだろう。そのようなことは絶対に起こらぬと、保証することはできないだろう。
 金田一耕助はいまあらためて、自分をこの島へつれてきた、不思議な運命をかえりみる。
 結局、加納弁護士の依頼をうけることになった金田一耕助は、五月十七日に東京をたって、ひとあしさきに修善寺へやってきた。
 松しよう籟らい荘そう──。それが加納弁護士に指定されたホテルで、そこに泊まっていれば、あとから大道寺家の使者が落ち合うというのである。
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