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第二章 開かずの間(7)
日期:2024-07-31 23:42  点击:293

 紳士録でしらべたところによると、松籟荘というのは、大道寺欣造の関係している事業

のひとつで、もとはなにがしの宮の別邸だったのを、戦後、伊豆相模土地会社がかいとっ

て、ホテルに改装したのである。むろん、いちげんの客は泊めない。しかるべき筋の紹介

状がいるのだが、金田一耕助は大道寺欣造の紹介状を持っていたので大威張りであった。

 金田一耕助はこのホテルがたいへん気にいった。桂かつら川がわをまえに、嵐あらし山

やまをうしろに背負うた松籟荘は、ちかごろとみに俗っぽくなった、修善寺の町から遠く

はなれて、幽ゆう邃すいの気につつまれている。ちかくにギリシア正教の教会があるのも

好もしく、おりおり鐘しよう楼ろうでうち鳴らす鐘の音が、ふるえるように聞こえてく

る。朝と晩には修善寺の鐘もきこえるのである。

 ホテルはずいぶん広くて、洋室と和室とにわかれているが、金田一耕助はかれの好み

で、和室のほうに部屋をとっていた。投宿した晩は、ほかに客はないらしく、広い建物の

向こうのほうを、おりおり、女中がしのびやかにいききする足音ばかりで、こんなことで

経営がなりたつのかと、ひとごとながら心配になるくらいであった。ところが翌朝、浴場

へいってみると先客がひとりいた。そのひとはすでに入浴を終わったらしく、鏡のまえに

立ってからだを拭ふいていたが、ひとめその体を見たとたん、耕助は思わず眼をみはらず

にはいられなかった。

 金田一耕助も兵隊にとられたくらいだから、多くの男の裸体をみてきた。しかし、これ

ほど見事な肉体に、お眼にかかったのははじめてである。それはまるで、ギリシアの彫刻

のように均斉がとれていた。ひろい肩、あつい胸、筋肉の隆々と盛りあがったたくましい

腕、きりりとひき締まった腰、臀でん部ぶから股ももへかけて、男性の誇りと若さに溢あ

ふれていた。肌がまた素晴らしく、入浴のためにほんのりと上気した小麦色の皮膚は、香

油をぬりこめたように、つやつやと精気にあふれている。背は五尺八寸というところであ

ろう。

 この素晴らしい肉体をまえにして、金田一耕助は着物をぬぐのがためらわれた。自分の

貧弱な肉体をさらして、相手の憫びん笑しようをかうにしのびなかった。そこで帯をとく

のを躊ちゆう躇ちよしていると、相手はそれをどう勘違いしたのか、

「失礼しました」

 と、こっちを向いて、皓しろい歯をだしてにっと笑うと、さっさと洋服を着はじめた。

彫りのふかい、目鼻立ちのかっきりとした、いかにもああいう素晴らしい肉体の持ち主に

ふさわしい、男性的な美び貌ぼうであった。としは二十六、七だろう。

 朝飯のとき給仕の女中をつかまえて、その客のことをきいてみると、

「ああ、あのかたは洋館のほうのお客さまなんですが、こっちのお風ふ呂ろのほうが、広

くて、気持ちがいいと申し上げたものですから……」

「ずっと長く逗とう留りゆうしてるの」

「いいえ。昨夜おそくいらしたんです。あなたさまより一列車あとでしょう」

「東京からだね、ひとりで……」

「ええ、おひとり」

「お馴な染じみさんなの」

「いいえ、おはじめてです。でも、専務さんの紹介状を持っていらしたものですから」

「専務さんというと……?」

「大道寺さまですわ」

 ひょっとするとあれが使者ではないかと思って、

「あのひと、ぼくのことをきいてなかった。金田一耕助って男のことを……」

「いいえ、別に……」

「名前はなんというの」

「多門様、多門連太郎様とおっしゃるんです」

 そこで女中は急にわらいだして、

「まあ、お客さま、どうかなさいまして。あのかたのことが、そんなに気におなりになり

ますの」

「いや、そ、そういうわけじゃないが、ぼくがここで、落ち合うことになっているひと

じゃないかと思ってね」

 金田一耕助にも、なぜその男のことが気にかかるのかわからなかったが、あとから思え

ば、それが虫の知らせというやつだろう。

 多門連太郎。──ギリシアの神のようなこの男こそ、これからお話しようとするこの物語

の、大立者だったのである。

 それはさておき、その日はいちにち、寝たり起きたりして暮らしたが、その翌日、十九

日の夕方になって、女中が大道寺氏の使いがきたことを報しらせにきた。

「ああ、そう、どちらにいらっしゃるの」

「ホールでお待ちでごいます」

 ホールは洋室と和室のあいだにあって、両方の客に使えるようになっている。金田一耕

助が身支度をして、──といったところで、例によってよれよれのセルと袴はかまだが──

出向いていくと、ホールの隅にあるピンポン台で、二十二、三の色白の華きや奢しやな青

年と、十六、七の腺せん病びよう質しつらしい少年が、キャッキャッと声を立てながらピ

ンポンをしていた。そばには三十五、六の、地味ながら凝こったなりをした小造りの婦人

が、冴さえぬ顔色で額をもんでいた。

 それにしても大道寺氏の使いというのは……と、あたりを見まわしていると、向こうの

ほうで新聞を読んでいた男がつと立ち上がると、

「ああ、あんたが金田一さんですな」

 と、ゆっくりそばへよってきたが、それがあの怪行者だったのである。

 金田一耕助はびっくりして、

「ええ、ああ、ぼ、ぼく金田一ですが、あなたは……?」

 怪行者はふところから紙入れをだすと、そこから一枚の名刺をとってわたした。大道寺

欣造の名刺で、名前のうえに、

「九つ十く九も龍りゆう馬ま氏を御紹介申し上げ候。以後、このひとのお差図に従われた

く、草々」

 と、万年筆の走り書きである。金田一耕助はおどろいて眼をみはった。

「それじゃあなたが大道寺氏のお使いで」

「ああ、そう。あんたのお名前はかねてから聞いていた。こんどは妙な縁で同行をお願い

することになったが、は、は、は、あんたといい、わしといい、こりゃアよっぽど変わっ

たとりあわせじゃて、あっはっは」

 九十九龍馬は長いひげをゆすって笑うと、ピンポン台のほうをふりかえって、

「紹介しておこう。あちらの婦人が大道寺氏の、その、なんじゃ、まあ、なんでもええ

わ、蔦つた代よさん、それから令息の文彦君、遊ゆ佐さ三郎君。みなさん、こちらが金田

一耕助氏」

 一同はかるく頭をさげたが、金田一耕助はいよいよ驚いて、

「すると、皆さんでお迎えに……」

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