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第二章 開かずの間(12)
日期:2024-07-31 23:45  点击:247

「しかし、ぼくはここへ来てから、まだいちども、この時計の鳴るのをきいたことがない

ぜ」

「そりゃそうだろう。鳴るのを止めてあるんだもの」

 と、遊佐は左手の壁をゆびさし、

「ほらそこに、CHIMESILENT と書いてあるだろう。そして、弁はいまサイレントのほう

へよせてある。だから、時計は鳴らないわけさ。その弁をチャイムのほうへもっていくと

鳴りだすはずだ」

「だけど、どうして鳴るのを止めてあるのだ」

 連太郎という男は、腑ふにおちぬところがあると、どこまでも追究しなければ、気がす

まぬ性分と見える。遊佐はしかし、それをうるさがりもせず、かえっていくらか得意げ

に、

「それはね、町から苦情が出たからさ。まあ、お聞き。この時計は十五分ごとに鳴るん

だ。十五分はファド──三十分はファファ……ラファド──

四十五分はドファ……ラファド……ファド──それから、時

間時間には、ファファ……ラファド……ドファ……ラ

ファド──そういうふうに前奏がついて、そのあとへ時間のかずだけその槌が、四本

の銀色の棒をたたく。そりゃア、とても余韻にとんだいい音ね色いろなんだ。しかし、な

にぶんにも、十五分ごとに鳴るもんだから、これじゃ落ち着いて仕事もできないと、町か

ら苦情が出たので、いまじゃ弁をサイレントのほうに寄せたっきりさ。うつれば変わる世

のなかで、戦争まえならかりそめにも、そんな苦情は持ち出せたもんじゃないんだ

が……」

「どうして……? 戦争まえはどうして苦情を持ち出せなかったんだ」

「なんだ、君はなんにも知らないんだね」

 遊佐は軽けい蔑べつするように、わざと眼をまるくして、

「だって、このホテルはもと、宮様の御別邸だったんじゃないか。この時計台なんかも、

宮様のお好みで、ウェストミンスター型の置き時計を、そのまま拡大してあるんだ。ウェ

ストミンスター型の置き時計──知ってるかい。ウェストミンスター寺院の鐘の音と、そっ

くり同じ音階で鳴る時計さ。余韻にとんだ、とてもいい音色なんだが……」

「宮様ってどなた?」

「衣きぬ笠がさの宮みや……しかし、いまじゃ宮様でもなんでもなく、単なる一個の衣笠

氏でいらっしゃるがね」

「衣笠宮……」

 連太郎の顔色に、とつぜん、はげしい動揺のいろがあらわれた。

 かれはまるで、相手のすがたを呑のみこもうとするかのように、大きな眼を見張って凝

ぎよう視しする。

 その権幕があまりおそろしかったので、遊佐は思わず、一歩うしろへさがりながら、

「おい、どうしたんだ。君は衣笠宮を知ってるのかい?」

 連太郎ははっと気がついたように、あわてて顔をそむけたが、その頰ほっぺたには、子

供がべソをかくときのような、はげしい痙けい攣れんがなみうっている。連太郎はくるり

と遊佐に背をむけると、せまい部屋のなかをいきつもどりつしながら、

「おれが、宮様を……あっはっは」

 咽の喉どのおくに、魚の骨でもひっかかったような笑い声をあげると、

「ばかなことをいっちゃいけない。しかし……宮様はどうしてここをお手離しなすったの

だろう。やはりお手て許もと不如意でいらっしゃるのかしら」

 ひとこそ知らね、そのとき、連太郎の瞳めのなかには、はげしい悔恨と哀愁と、それと

同時に、恍こう惚こつたる懐しさのいろが、かぎろいのごとくただようているのである。

 遊佐は猜さい疑ぎにみちた眼のいろで、連太郎の様子を見まもっていたが、やがて咽喉

のおくで毒々しい笑い声をあげると、

「おい、止せ、そんなにそこらを歩きまわるのは……神経がいらいらしてかなわねえ。宮

様がお手許不如意でいらっしゃるかどうか、そんなことをぼくが知るもんか。どうせこち

とらと同じ斜陽族でいらっしゃる。まあ、おさかんなことはあるまい。しかし、どうした

んだ、君はほんとに宮様を……」

「ばかなことをいっちゃいかんというのに」

「あっはっは。そうだったな。いかに当世とはいえ、宮様が前科者に、おちかづきなどあ

ろうはずがない。おい、謙ちゃん、君はいつ別荘から出てきたんだ」

 連太郎は弾はじかれたように、遊佐のほうへふりかえる。男らしく、かっきりと彫りの

ふかい顔がいかりにふるえ、瞳ひとみが火のようにもえあがる。遊佐はおびえたように、

二、三歩あとじさりをした。

 連太郎はしかし、すぐに反省したらしい。相手は女のように華きや奢しやな男である。

逞たくましい連太郎の腕力にかかったらひとたまりもないが、そんなことはおとなげない

ことだ。

 連太郎はホロにがく笑って、

「それはおたがい、いわない約束じゃなかったのか。君がそれをいうなら、おれも君を三

ぶちゃんと呼ぶぜ」

 遊佐はほっとしたように、手の甲で額の汗をこすりながら、いくらかおもねるような口

調で、

「ごめん、ごめん。つい口に出ちゃったんだ。悪く思わないでくれたまえ。だけど、え

え……ああ、多門連太郎か、さっき食堂で君のすがたを見たとき、ぼくはほんとに驚いた

ぜ。こんなことをいうと、また君がおこるかも知れないが、ここは君などの出入りするホ

テルじゃないのだ」

「知ってる」

「知っててどうしてやって来たんだ。どうせ君のことだから、ただじゃ来まい。何かもく

ろみがあるにちがいない。いったい、どういうもくろみだい」

 連太郎は無言である。きっと結んだ唇は、何をいわれても、取りあうまいと決心してい

るようだ。遊佐はまた、しだいにずうずうしくなって、

「さっき女中にきいてみたら、どなたかお連れさんがお見えになるのを、お待ちのようす

でございますといやアがった。いったい誰だい、お連れさんというのは。君のその服装み

なりといい、大道寺さんの名前をつかった紹介状といい、相当金かね廻まわりのいい女ら

しいな。お羨うらやましいこった。稀き代だいのドンファン、女たらしの謙ちゃんの凄

すご腕うでにゃ、いまさらながらシャッポをぬぐよ」

「また、それをいう。そのことはいわない約束じゃなかったのか」

「あっはっは、どうもこれがいいたくてねえ。しかし、まったく見直したよ。そうしてパ

リッとした服装をしていると、アロハを着てるときたア、またいちだんと立ちまさった男

振りだ。女がだまされるのも無理はねえ。稀代のドンファンとはよくいったもんだ」

「また、それを……」

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