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過去から来た女05
日期:2018-07-30 20:52  点击:268
 5 疑《ぎ》 惑《わく》
 
 「お帰り」
 と、草《くさ》永《なが》達《たつ》也《や》がグラスを上げた。
 「どうも」
 文江は、あまり気のない返事をした。
 「どうしたんだ? あんまり嬉《うれ》しそうじゃないね」
 と草永は言った。
 「どうして嬉しくなきゃいけないの?」
 「ご挨《あい》拶《さつ》だな。恋《こい》人《びと》と別《わか》れてるのが寂《さび》しくて、たった二日で帰って来たんだろ?」
 文江は、ちょっと笑《わら》った。
 「相変らずね」
 「変りっこないじゃないか、前に会ってから、四日しかたってない」
 「ずいぶんたったような気がするわ」
 と、文江は言った。
 銀《ぎん》座《ざ》の地下のレストランだ。小さな店だが、草永の会社が近いので、よくここで待ち合せる。
 草永達也は、広告会社に勤《つと》めている。
 といって、夜も昼もなく飛び回るエリートというわけでなく、至《いた》って呑《のん》気《き》な、庶《しよ》務《む》の人間だった。
 さほど二《に》枚《まい》目《め》でもないが、おっとりした人《ひと》柄《がら》の良さが、競争の社会で疲《つか》れている文江にとって、救いのように感じられる。
 あまり付き合ってスリルのある相手ではないが、何でも打ちあけて話せる男だった。
 「僕《ぼく》も、君がいない間は寂《さび》しかったよ」
 「意味が違《ちが》うのよ」
 と、文江は言った。
 「まあそうがっくりするな。仕方ないじゃないか。七年間、生死不明だったんだ。その内に、お母《かあ》さんの怒《いか》りも解《と》けるよ」
 「違うのよ。そんなことなら、こう深《しん》刻《こく》になりゃしないわ」
 「へえ。何事だい、一体?」
 「とんでもないことになったのよ」
 「もう君に亭《てい》主《しゆ》がいたとか?」
 「まさか」
 と、文江は苦《く》笑《しよう》した。
 食事をしながら、文江は一部始終を話して聞かせた。
 「そいつは辛《つら》いね」
 と、草永は言った。
 「そう。——いやになっちゃうの、分るでしょ?」
 「うん。しかし……」
 「私《わたし》、必ず、真相を暴《あば》いてやるわ」
 「つまり、君の部《へ》屋《や》が荒《あら》されていたことと——」
 「書き置きが消えていたことよ」
 「それに、その男——和也といったっけ? 彼《かれ》の言うこともおかしいね」
 「どうして?」
 「包丁の話、手《て》拭《ぬぐ》いの話、どれも本当とは思えないよ」
 「そうねえ……」
 「彼には彼で、何か、隠《かく》していることがあったんだ。——例の焼いた跡《あと》のことだって、彼の話じゃ解《かい》決《けつ》できないじゃないか」
 「それもそうね」
 「彼はやっぱり、何《ヽ》か《ヽ》やったんだと思うね、僕《ぼく》は」
 「何を?」
 「誰《だれ》かを殺して、埋《う》めたのさ」
 「まさか!」
 「他に考えられるかい? 起《き》訴《そ》するには死体が見つからないと無《む》理《り》だけど、状《じよう》況《きよう》証《しよう》拠《こ》は充《じゆう》分《ぶん》だよ」
 「でも、誰を?」
 「そりゃ分らないさ」
 「行方《ゆくえ》不明になれば、誰かが届《とど》け出るでしょう」
 「どうかな」
 「だって——」
 「考えてみろよ」
 と、草永は言った。「君だって、通りすがりの車に乗って東京へ出て来た。どこかの女の子が、町から山道へ迷《まよ》い込《こ》んで、困《こま》っている。そこへその、和也が通りかかって、村まで案内しよう、と言い出す」
 「それで?」
 「途《と》中《ちゆう》、色々話をするだろう。女の子は家出して来たと分る。しかも、かなり遠くから来ている。——暗い山中で、二人きりだ。和也が、妙《みよう》な気を起こしてもおかしくない」
 「やめてよ。幼《おさ》ななじみなのよ」
 「だが君は女で、僕《ぼく》は男だ。男のことは、僕の方が良く分る。十九歳《さい》は、体が大人《おとな》で、まだそれを制《せい》御《ぎよ》し切れない年《ねん》齢《れい》だよ」
 「でも殺すなんて……」
 「殺す気だったのかどうかね。乱《らん》暴《ぼう》するだけのつもりだったかもしれない。でも女の子の方が、大人《おとな》しくしていなかった。隙《すき》を見て彼の荷の中にあった包丁をつかんで——」
 「逆《ぎやく》に刺《さ》された……」
 「ほんのはずみだったかもしれないよ」
 文江は、じっと草永を眺《なが》めて、
 「見て来たようなことを言うのね」
 「可《か》能《のう》性《せい》さ。——ともかく、何かあったことは確《たし》かだと思うね」
 草永はそう言って食事を続けた。
 「あなたって、割《わり》合《あい》に鋭《するど》いのね」
 「割合に、はないぜ」
 と、草永は言った。「——本当に、やるのか?」
 「事《じ》件《けん》のこと? そうよ」
 「やめといた方がいいと思うけど……。まあ言ってもむだだろうね」
 「むだよ」
 と文江は言った。「考えてみてよ。人一人、私《わたし》のために死んでいるのよ」
 「うん、分る」
 と、草永は言った。「ワイン一本分には充《じゆう》分《ぶん》相当するよ」
 「同感だわ」
 文江はワインのグラスをぐいっとあけた……。
 
 
 「——今夜は帰るの?」
 と、文江はベッドの中から言った。
 「いや、泊《とま》ってもいい。でも君の気持次《し》第《だい》だな」
 「そう」
 文江は裸《はだか》の腕《うで》をのばして、草永を抱《だ》き寄《よ》せた。「——私はあなた次第よ」
 二人の唇《くちびる》が絡《から》むように触《ふ》れ合う。
 そこへ、チャイムが鳴った。
 「——誰《だれ》だい?」
 「さあ、分らないわ。もう十一時ね。——こんな時間に……」
 「出てみろよ。何か着てね」
 「当り前でしょ」
 と、文江は言って、ベッドから出ると、裸《ら》身《しん》にガウンをまとった。
 インタホンで、
 「どなた?」
 と声をかける。
 「警《けい》察《さつ》の者です」
 と、返事があった。
 文江は、草永の方へ肩《かた》をすくめて見せ、玄《げん》関《かん》へ出て行った。
 チェーンをしたまま、細く開けてみる。
 「ええと……常石文江さんですか」
 「はあ」
 「実はちょっとお話が……」
 どこかで聞いた声だ、と思って、文江は首をかしげた。
 ともかく中へ入れる。
 「夜分、申し訳《わけ》ありません」
 居《い》間《ま》へ入って、明るい光の下に立つと、やっと分った。
 「ああ、あの、バイクでひっくり返ってた方ですね!」
 「え?——じゃ、あなたが、あのときの……」
 男は照れくさそうに頭をかいた。
 「——じゃ、県《けん》警《けい》の刑《けい》事《じ》さんなんですか」
 と、草永の淹《い》れてくれたコーヒーを飲みながら、文江は言った。
 「はあ。室《むろ》田《た》といいます」
 刑《けい》事《じ》はそう言って、「いや、てっきりお一人と思ったので……。お邪《じや》魔《ま》をして申し訳ありませんね」
 「いや、いいんですよ」
 と、草永が気楽に言った。「朝までは長いですからね」
 「いや、お若《わか》い方々は羨《うらやま》しい」
 と、室田刑事は言った。
 「で、どういうご用でおいでになったんでしょう?」
 「あなたが行方《ゆくえ》不明になって、坂東和也という若《わか》者《もの》が捕《つか》まった。——ご存《ぞん》知《じ》ですね?」
 「はい。母から昨日、初めて聞きましたわ」
 「そのとき、彼《かれ》を調べたのが、私だったのですよ」
 「まあ」
 「もちろん私一人ではありません」
 と、室田刑事は続けた。「何人かの同《どう》僚《りよう》は、彼がクロに違《ちが》いない、と言っていました。しかし、私はシロだと思っていたのです」
 「そうでしたか」
 「結局、彼の自殺で、たぶんクロだったのだろう、ということになって、それきり終ってしまったのですが、ずっと気になっていたのです」
 「そこへ私《わたし》が帰ったので……」
 「ええ、それを聞いて、駆《か》けつけたんです。ところが、あなたはもういらっしゃらなくて」
 「それはすみませんでした」
 「いや、あのときに気が付いても良かったんですよ」
 と室田刑《けい》事《じ》は、ちょっと照れたように笑《わら》った。
 「——で、私に何のお話だったんでしょうか?」
 「あなたが、どうやって村を出られたのか、うかがいたかったのです」
 「それは——」
 文江は、母に話した説明をくり返した。
 「すると山の方へは行かなかったんですね」
 「ええ。行きかけて、車が来たので、やめたんです」
 「山道を行けば、途《と》中《ちゆう》で、坂東和也に会っていたでしょうね」
 そう言われて、文江は、ちょっとハッとした。
 「そうですね。考えてもみませんでした」
 「実は、私にも、あの和也という若《わか》者《もの》の言うことは信用できないんですよ。しかし、あなたを殺してはいない。——そうなると、あの若者は、なぜ、あんなでたらめを言ったのでしょう?」
 文江は、ちょっと草永の方を見た。
 「——分りませんわ」
 「ともかく、彼には、隠《かく》したいことがあったのです」
 「それは分ります」
 「しかし、そのおかげで、彼は殺人の容《よう》疑《ぎ》をかけられている。——それほどまでにして、隠していた秘《ひ》密《みつ》は何だったのでしょう?」
 「別の殺人だったのじゃありませんか?」
 と、草永が言った。
 「鋭《するど》いですな」
 と、室田刑事が肯《うなず》く。「私もそう考えました。しかし、あの夜、確《たし》かに、彼は、町から出て山道を村に回っています。途中、誰《だれ》か女と会って、殺したとして、その死体をどこかへ埋《う》める——近くではないのですよ。あの辺一帯を捜《さが》したのですからね。そして、服を焼く。それだけのことをやる時間が、あったでしょうか?」
 「なるほど」
 「しかも、まだ暗い中でです。そして、包丁と手《て》拭《ぬぐ》いの件《けん》……。埋《う》めるなら、なぜそれも一《いつ》緒《しよ》に埋めてしまわなかったのか?」
 「分りませんわ」
 と文江は首を振《ふ》った。
 「つまりですね、彼は殺したかのような痕《こん》跡《せき》を、作っていたのではないか、と私は思っているのですよ」
 と、室田刑《けい》事《じ》は言った。
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