行业分类
過去から来た女08
日期:2018-07-30 20:58  点击:295
 8 再《ふたた》び村へ
 
 絞《こう》殺《さつ》。
 犯《はん》人《にん》はあの男だろうか?——文江としても、こんなことになっては、襲《おそ》われたことを室田に話さないわけにはいかなくなってしまった。
 「——何かあったのかな、とは思っていたんですがね」
 と、室田は渋《しぶ》い顔で言った。「すぐに連《れん》絡《らく》してもらえば……」
 「申し訳《わけ》ありません。何だか、私《わたし》個《こ》人《じん》の戦いだ、っていう気がして」
 「まあ、気持は分りますがね」
 室田は文江の首の傷《きず》を見て、「こいつは、なかなかのプロですな」
 と言った。
 「そうですか?」
 「こんな風に、強すぎず弱すぎずの力で絞《し》めるのは難《むずか》しいもんですよ。まあ、別《べつ》に感心するつもりはありませんがね」
 室田がそう言ってニヤリと笑《わら》ったので、文江はホッとした。
 アパートの部《へ》屋《や》は、ただでさえ狭《せま》いのに、白《しろ》手《て》袋《ぶくろ》をはめた刑《けい》事《じ》たちや、鑑《かん》識《しき》の人間たちで、ますます狭くなっていた。
 検《けん》死《し》官《かん》は死体をじっと見て、
 「絞《こう》殺《さつ》だね」
 と、よく分っていることを言った。「死後半日はたっている。正《せい》確《かく》なところは分らないが」
 「つまり、十二時間以上ということですか?」
 と、室田が訊《き》いた。
 「そう。それ以上は確《かく》実《じつ》にたっている」
 ということは、と文江は思った。——朝の八時には、もう坂東は殺されていたことになる。
 隣《となり》の主《しゆ》婦《ふ》の証《しよう》言《げん》が正しければ、坂東の妻《つま》がここを出たのが朝十時。ということは……。
 「まさか、室田さん」
 と文江は言った。
 「どうも坂東は妻に殺されたらしいですな」
 室田は難《むずか》しい顔で言った。
 「でもどうして?」
 「動機は窺《うかが》い知れませんが、現《げん》在《ざい》のところでは、妻の容《よう》疑《ぎ》が濃《こ》いということですよ」
 「でも、奥《おく》さんに殺せるでしょうか? それも首を絞《し》めてですよ」
 「それは何とも言えません」
 と、室田は肩《かた》をすくめた。「可《か》能《のう》性《せい》の問題なら、たぶん可能でしょう。しかし、それが真相だったのかどうかは別問題ですからね」
 「私を襲《おそ》った男が犯《はん》人《にん》じゃないでしょうか、同じように首を絞《し》めているし……」
 「その可《か》能《のう》性《せい》もあります。——ともかく、ここは私の出る幕《まく》じゃないのです。何しろ警《けい》視《し》庁《ちよう》の所《しよ》属《ぞく》じゃありませんからね。あなたのマンションへ行ってもよろしいですか? 例の男が何か残していないか、調べてみたいと思うんですが」
 「ええ、もちろん」
 と、文江は肯《うなず》いた。「でも、あの男、手《て》袋《ぶくろ》をはめていたみたいだし、何も残っていないと思いますけど」
 そこへ、警官がやって来た。
 「室田さんですか」
 「はあ」
 「無《む》線《せん》が入ってます」
 「どうも」
 室田が行ってしまうと、文江も、部屋を出て、外の空気を吸《す》い込《こ》んだ。坂東の父親が殺された。そして母親が姿《すがた》を消した。——なぜだろう? 一体何が起ったのか?
 文江は坂東の両親のことを思い出してみた。父親は確《たし》か坂東市《いち》之《の》介《すけ》といった。役者みたいだといつもみんなが言っていたのを、憶《おぼ》えている。
 母親の方は?——至《いた》って記《き》憶《おく》が薄《うす》い。
 名前は何といったろう? それさえ定かではない。
 いつも「和ちゃんのお母さん」であり、「坂東のとこのかみさん」であった。大体が目立たない、寡《か》黙《もく》な人だった。
 万事控《ひか》え目で、何事にも夫を第一、次に息子《むすこ》を立てた。村人たちの、噂《うわさ》話《ばなし》の環《わ》に加わらなかったというだけでも、ちょっと変ったタイプの人だったということは分る。
 父親は、かなりおおらかで、気の大きな人だったが、それだけに、ああして老《ふ》け込《こ》んでしまうと、違《ちが》いが大きいのだ。
 息子の和也は、どちらかというと母親似《に》だった。
 少し神《しん》経《けい》質《しつ》なところがあって、一人っ子だったせいもあるのだろうが、母親っ子であった。よく父親が苦々しい顔で息子を見ていたのを、文江は憶《おぼ》えている。
 しかし、何といっても坂東市之介にとって和也は自分の夢《ゆめ》をかけた一人息子だったのだ。その息子が殺人容《よう》疑《ぎ》者《しや》となり、そして自殺してしまったとなると、父親の絶《ぜつ》望《ぼう》感《かん》は想《そう》像《ぞう》がつく。
 あの老けようも、納《なつ》得《とく》できるというものだ。だが、あの二人の生活を助けていたのは、誰《だれ》なのだろう? おそらく、村人の中の一人に違《ちが》いないが。
 そして、ごくたまに訪《たず》ねて来たという年《とし》寄《よ》りは……。
 どうやら、坂東夫婦の暮《くら》しも、単《たん》純《じゆん》に、故《こ》郷《きよう》を追われた人のそれではなかったようだ。
 あの母親——静かではあるが、田舎《いなか》育ちの婦《ふ》人《じん》らしく、がっしりとした体つきだったあの婦人はどこへ行ったのだろう?
 「——おい、もういなくてもいいんだろう」
 と、草永がやって来た。
 「室田さんを待ってるのよ」
 と言ったところへ、当の室田が戻《もど》って来る。
 「いや、申し訳《わけ》ないんですが、やはり急いで帰らにゃなりません。あなたの件《けん》は、明日、地《じ》元《もと》署《しよ》の刑《けい》事《じ》が伺《うかが》うそうですから」
 「分りました」
 「充《じゆう》分《ぶん》に用心して下さいよ」
 と、室田は言った。
 「僕《ぼく》がついています」
 と、草永が真《ま》面《じ》目《め》くさった顔で言う。
 「また田《でん》村へ、戻《もど》りますか?」
 「そのつもりです」
 と文江は言った。
 「じゃ、あちらでお目にかかれるでしょう。——何か、例の男のことで思い出したことがあれば、連《れん》絡《らく》して下さい」
 室田が急ぎ足で行ってしまうと、文江と草永は、現《げん》場《ば》を離《はな》れて、夜の町を少し歩いた。
 「——にぎやかね。この辺は、いつも」
 「そうだな」
 「人一人、死んでも、別に誰《だれ》も気にしないんだわ」
 文江は、少しこわばった声で言った。
 「あんまり考え込《こ》むなよ」
 「無《む》理《り》言わないでよ」
 と、文江は食ってかかるような言い方をした。
 「分った。でも、飲んで忘《わす》れようなんてのはやめた方がいいぜ」
 「飲むもんですか」
 文江は言った。「こんなときに酔《よ》えやしないわ。お金のむだよ」
 「そうそう。それでいいんだ」
 草永が文江の肩《かた》を抱《だ》いた。
 「——分る? 私《わたし》が帰《き》郷《きよう》したばっかりに、死ななくてもいい人が死んじゃったわ」
 「うん……。しかし、君が殺したんじゃない。それを忘《わす》れるなよ」
 「忘れちゃいないわ。だから憎《にく》らしいのよ、犯《はん》人《にん》が」
 「あの男か、それとも坂東の奥《おく》さんか……」
 「きっとあの男だと思うわ」
 と、文江は言った。「あなたも首を絞《し》められたら、そう思うわよ」
 「——どこかへ行こうか? 今夜はずっと付き合うよ」
 「そうね……」
 文江は、ちょっと考えて、「ホテルもバーもお金がかかるわ。ベッドならマンションにあるんだから、マンションに帰りましょう」
 「女は不思議だな」
 と、草永は笑《わら》って、肩《かた》を抱《だ》く腕《うで》に力を入れた。
 
 
 「——帰るのか?」
 と、草永が言った。
 毛布の下でまどろんでいた文江は、目をトロンとさせたまま、
 「ここ、私のマンションよ」
 と言った。
 「違《ちが》うよ。君のデンデン村のことさ」
 文江は笑《わら》って、
 「デンデン村か。——そうね、帰るわ。今度こそ、事《じ》件《けん》が片《かた》付《づ》くまで戻《もど》って来ない」
 「心配だな」
 「じゃ、ついて来てよ」
 「いいとも」
 文江は起き上った。
 「冗《じよう》談《だん》でしょ?」
 「本気さ」
 「会社は?」
 「休《きゆう》暇《か》を取る。——クビならクビでも、別に構《かまい》やしない。何しろ、各社引《ひつ》張《ぱ》りダコだからね」
 文江は草永にキスした。
 「そうなったら、養ってあげるわね」
 「失業保《ほ》険《けん》があるさ」
 と、草永は言った。
 「いつまでもくれるわけじゃないのよ。——あら」
 電話が鳴った。文江は裸《はだか》の体にバスローブをはおって、ベッドから出た。
 「はい、常石です」
 「文江なの? まだ起きてた?」
 「あら、お母《かあ》さん。こんな夜中に——。母からよ」
 と、草永の方へ言う。
 「どなたかいらっしゃるの?」
 と公江が訊《き》いて来る。
 「ええ、恋《こい》人《びと》がいるの」
 「あら、そうなの。かけ直す? 途《と》中《ちゆう》なら悪いから」
 「お母さんたら——」
 と、文江は笑《わら》った。
 「今度紹《しよう》介《かい》しておくれ」
 「連れて行くわ。泊《と》めてあげてね」
 「いいよ。でも、部《へ》屋《や》は別にしないと、うめがやかましいからね」
 「そうね。——お母さん、聞いた?」
 「坂東さんのことね。さっき白木さんが来て話してくれたよ」
 「ひどいことになっちゃったわ。——奥《おく》さんの方、何ていう名だっけ?」
 「坂東雪《ゆき》乃《の》さんというのよ。行方《ゆくえ》が分らないんですって?」
 「そうなの。まさかあの人が殺したとは思えないんだけど……」
 「強い人だったけどね。——ああ、ところでね、こんな時間に悪いと思ったんだけど、お寺の方から、ぜひお前に顔を出してほしいって言われて」
 「お寺?」
 「何しろ、お前の葬《そう》式《しき》が済《す》んでるだろ。お墓《はか》もあるしね。何とかしないと」
 「あ、そうか」
 なるほど、もう自分の墓があるわけだ。
 「ちょっと早手回しね」
 「私もまだしばらく使う気はないし。帰って来たら、顔を出しとくれ。和《お》尚《しよう》さんも会いたがってたからね。——え? 何?」
 「どうしたの?」
 「うめが来てるの、待って」
 少し、モゴモゴという声がして、もう一度母の声がした。
 「お客様なの。またかけるよ」
 「こんな時間に?」
 「そうなんだよ」
 と、公江の声は、少し低くなっていた。「坂東雪乃さんだって」
 
 
 汽《き》笛《てき》が鳴った。
 ホームへ降《お》りると、草永が荷物を持ち直した。
 「さあ、行こう」
 文江は、改《かい》札《さつ》口《ぐち》の方へ歩き出した。風の強い日だ。
 「やあ、文江さん」
 駅長の金子が、声をかけて来た。「この間は見《み》違《ちが》えてしまってね」
 「ごぶさたしてます」
 と文江は言った。
 何だか妙《みよう》だが、他に言いようもない。
 「すっかり、いい娘《むすめ》さんになったね」
 と、金子は言った。
 言い方に、どこかぎこちないところがあるのは仕方あるまい。文江の帰《き》郷《きよう》と、それが引き起こした事《じ》件《けん》のことが、この狭《せま》い村の中に、知れ渡《わた》っていないはずはないのだ。
 「お母さんがお待ちだよ」
 と金子が言った。
 駅の前に、公江が、うめと一《いつ》緒《しよ》に立っているのが見えた。
 「——お母さん! わざわざお出《で》迎《むか》え?」
 文江の声は弾《はず》んでいた。
 「お前はどうせ荷物を彼《かれ》氏《し》に持たせてるんだろうと思ってね。やっぱり思った通りだわ。うめ、持っておあげ」
 「あ、いや、大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》です」
 と、草永があわてて言った。
 「まあ、任《まか》せなさい」
 と、うめが草永の手から荷物をもぎ取る。
 文江が、草永を母に紹《しよう》介《かい》した。
 「まあ、いつも娘《むすめ》がお世話になって」
 と公江は草永に言った。
 「いえ、こちらこそ——」
 「この子の相手は大変でしょう」
 「何よ、お母さん、その言い方」
 と、文江は苦《く》笑《しよう》した。
 「さ、ともかく家へ参りましょう」
 四人は村の中を歩き出した。
 「——村が静かね」
 と文江は言った。
 奇《き》妙《みよう》に、人の姿《すがた》が見えない。ひっそりとして、もちろん店などは開いているのだが、そこにも客の姿はあまりなかった。
 「この二、三日、こんな風よ」
 「どうして?」
 「雪乃さんが帰って来たからでしょう」
 文江は母の顔を見た。——マンションに、母から電話があったのが三日前である。
 「あの後、結局どうなったの?」
 と文江は訊《き》いた。
 「それがちょっと、妙な具合になってね」
 公江は首を振《ふ》って言った……。
 
 
 公江が玄《げん》関《かん》へ出て行くと、坂東雪乃が、立っていた。
 いや、一人の老《ろう》婦《ふ》人《じん》が立っていた、と言うべきだろう。
 人の顔を憶《おぼ》えることには自信のある公江でも、その婦人が雪乃だということを納《なつ》得《とく》するのに、しばらくかかった。
 「——まあ、雪乃さん! お久しぶりね」
 公江は、静かに呼《よ》びかけた。
 「ごぶさたいたしまして」
 と雪乃は頭を下げた。
 「お上りなさいよ、そんな所じゃ、話も——」
 「いえ、すぐに失礼しますから」
 「そんなことを言わないで……」
 「いえ、本当に」
 「そうですか」
 公江は、上り口に座《すわ》った。「うちの娘《むすめ》のために、とんでもないことになって、本当に申し訳《わけ》ないと思っていますわ」
 「いいえ、奥《おく》様《さま》」
 と、雪乃は遮《さえぎ》って、「とんでもないことでございます。うちの子は、お宅《たく》のお嬢《じよう》様《さま》とはとても仲《なか》が良かったのですから」
 「そうでしたね」
 「あんなことになったのも、和也自身にも責《せき》任《にん》があります」
 と、雪乃は言って、ちょっと目を伏《ふ》せた。
 「でも……」
 「奥《おく》様《さま》」
 と、雪乃は、真《まつ》直《す》ぐに公江を見つめた。
 その視《し》線《せん》は、公江ですら、一《いつ》瞬《しゆん》たじろぐほど冷たく、そして異《い》様《よう》な火で輝《かがや》いていた。
 「もうお聞き及《およ》びでしょう?」
 公江は少し間を置いて、
 「ご主人のことですね」
 「そうです。主人は亡《な》くなりました」
 と雪乃は言った。
 「お気の毒でしたね」
 「いいんです。あの人はいわば自《じ》業《ごう》自《じ》得《とく》ですから」
 公江はいぶかしげに、
 「どういう意味です?」
 と訊《き》いた。
 「私《わたし》は殺していません」
 雪乃は言った。「それは信じて下さい。私はやっていません」
 「信じていますよ、もちろん」
 「ありがとうございます」
 雪乃は、ホッとしたように言った。「この村で、私が信じられるのは奥《おく》様《さま》だけでございます」
 「信じていてくれるなら、上って、ゆっくり話をしましょう」
 「いいえ」
 と、雪乃は首を振《ふ》った。「これから用がございますので」
 「こんな夜中に? どこへ行こうというんです?」
 「私の用は長くかかります。たぶん、何か月も」
 「——その間、どこにいるつもりですか?」
 「さあ……」
 雪乃は、ちょっと笑《え》みを浮《う》かべた。「どこにでも。山の中、水の中、雪の中でも」
 「そんな謎《なぞ》めいたことを言って——」
 「決して、もったいぶっているわけではございませんの」
 雪乃は一つ息をついて、「村の方々にお伝え下さいませんか」
 「何と言えば?」
 「村の方々から、お借《か》りしたものを、近々、お返しにあがります、と」
 雪乃の言い方には、何か、ねっとりと絡《から》みつくような調子があった。
 「それは、どういう意味ですか?」
 と公江は膝《ひざ》を進めた。「——雪乃さん、妙《みよう》な考えは捨《す》てて下さいね」
 「ご心配なく。決して、無《む》茶《ちや》はいたしませんから」
 雪乃は、深々と頭を下げた。「では本日はこれで失礼いたします」
 「雪乃さん——」
 公江は呼《よ》びかけたが、もう雪乃は、玄《げん》関《かん》から出て行っていた。
 
 
 「——じゃ、つまり」
 と文江は言った。「雪乃さんは、息子《むすこ》の死の復《ふく》讐《しゆう》に来たとでもいうの?」
 「彼女《かのじよ》の言葉をどう取るか、よ、それは」
 と公江は言った。
 「で、村の人たちが、引っ込《こ》んじゃってるんですか?」
 と、草永が訊《き》いた。
 「それに色々と尾《お》ひれがついてね」
 「尾ひれ?」
 「出て行った雪乃さんを私が追いかけて玄関から出ると、もうどこにも姿《すがた》は見えなかった、ってことになってるの。つまり、まるでこの世の者じゃないように、ね」
 「でも、どうして?」
 「うめがね、みんなにそう話して回ったのよ」
 うめは、ヒョイと横を向いて、聞こえないふりをしている。文江は苦《く》笑《しよう》した。
 「ともかく、そんなわけで、村は今、静まり返っているのよ」
 「でも、まさか、そんな年《とし》寄《よ》りが村中をどうこうするわけがないと思いますがね」
 と、草永は言った。
 「村の人たちも、多少後ろめたさは感じているのよ」
 と、文江は言った。「だから、そんな噂《うわさ》に怯《おび》えているんだわ」
 「白木さんがあちこち駆《か》け回って、雪乃さんがどこにいるのか、調べているけど、まだ分らないのよ」
 「でも、こんな小さな村なのに……」
 「妙《みよう》な話ね、本当に」
 と、公江は肯《うなず》いて、「うめがそばにいなかったら、私《わたし》もあれが夢《ゆめ》だったかと思うところよ」
 村を抜《ぬ》けて、常石家へ向う。途《と》中《ちゆう》、閉《と》ざしたままの、坂東の家の前で、何となく四人は立ち止った。
 「ここがそうなのよ」
 と、文江が言った。
 「そうだろうと思ったよ」
 と、草永が肯く。「今は誰《だれ》の持物なんだい?」
 「さあ。知らないわ」
 そういえば、文江は、それを知らなかった。坂東夫《ふう》婦《ふ》のものだったら、売って行ったのではないか。
 もちろん、今、村には雑《ざつ》貨《か》屋《や》があって、こんな村の外れで雑貨屋を開く人はないだろう。しかし、取り壊《こわ》せば、立《りつ》派《ぱ》に家の二軒《けん》は建つ広さである。
 「——文江!」
 と声がして、杉山百代が、赤ん坊《ぼう》を抱《だ》いて出て来た。「帰って来たの? この前は、アッという間にいなくなっちゃうんだもの」
 「ごめんね。東京での用を片《かた》付《づ》けてから、ゆっくり来ようと思って。——あ、こちら、ボーイフレンドの草永さん」
 百代は草永を見て、
 「やっぱり、スマートねえ! うちの亭《てい》主《しゆ》なんか、もう禿《は》げて来ちゃって」
 と言ったので、みんな笑《わら》い出してしまった。文江は母に言った。
 「少し先に行ってて。後から追いつくから」
 草永と、公江、うめの三人が先に行ってしまうと、文江は、真顔になって、
 「私のせいで、あなたにも迷《めい》惑《わく》かかってんじゃない?」
 と訊《き》いた。
 「いいのよ、そんなこと」
 「じゃ、やっぱり——?」
 「いらないお節《せつ》介《かい》を焼く人がいるわ。しばらく村を出てた方が安全だ、とかね。馬《ば》鹿《か》らしいったらありゃしない!」
 百代は赤ん坊《ぼう》を抱《だ》き直して、「私は亭《てい》主《しゆ》と二人の子《こ》供《ども》をかかえてるのよ。これで村を出てどこへ行けっていうのかしら?」
 文江は微《ほほ》笑《え》んだ。母親になると、こうも女は強くなるものだろうか?
 「聞いてるでしょ、和也君のお母さんが——」
 「うん。だけど、忙《いそが》しくって怖《こわ》がってる暇《ひま》なんかないわ。それに恨《うら》まれる覚えもないしね。そりゃ私の証《しよう》言《げん》が、和也君をあそこまで追いやるきっかけになったのは事実だけども、だけど、和也君だって、怪《あや》しまれるようなこと、してたわけだし……」
 言葉とは裏《うら》腹《はら》に、やはり、怯《おび》えないまでも、かなり気にしている様子はよく分った。
 「和也君は、私を殺していない代りに、やっぱり何《ヽ》か《ヽ》していたのよ。それが何だったのか、調べたいの」
 「でも、どうやって?」
 「何とかするわ。昔《むかし》から、やると言ったことは必ずやりとげたでしょ?」
 「じゃ、探《たん》偵《てい》になるの? 凄《すご》いなあ!」
 と百代は愉《たの》しげに言って、「私も仲《なか》間《ま》に入りたいけど、でも、コブつきじゃね」
 「あなたを危《あぶな》い目にあわせるわけにはいかないわよ」
 「ねえ、さっきの彼《かれ》氏《し》とは同《どう》棲《せい》中《ちゆう》?」
 「そうじゃないわ。別々よ。時々、お互《たが》いに行き来するだけ」
 「でも、泊《とま》ってくんでしょ?」
 「まあね」
 「やるわね! 私なんか、初夜の晩《ばん》まで娘《むすめ》のままよ。つまんないこと——」
 百代は笑《わら》って言った。
 少しも変っていない。文江は、百代の笑《え》顔《がお》で、すっかり心が軽くなるのを感じた。
 母たちの後を追って、文江は歩いて行った。——向うからバイクがやって来る。
 「転ばないで下さい!」
 と、文江は大声で言った。
 室田刑《けい》事《じ》だったのだ。
 「やあ! お帰りですか!」
 と室田が片《かた》手《て》を上げた。
 「危《あぶな》い!」
 ドシン、とみごとにバイクはひっくり返った……。
小语种学习网  |  本站导航  |  英语学习  |  网页版
09/07 03:53
首页 刷新 顶部